1872(明治五)年10月14日、日本初の鉄道が新橋駅(のち汐留駅)と横浜駅(現・桜木町駅)の間で開通した。今年はちょうど百五十周年にあたる。「美術」という語が初めて公文書に登場するのも、同じこの1872年だというから面白い。ウィーン万国博覧会への出品を呼びかける太政官布告に記されているという。
鉄道も美術も、ともに明治政府が「文明開化」「殖産興業」の掛け声のもとで性急に導入した西欧の新しい技術や制度であり、これらのシステムがわが国の近代化の礎となったのは言うまでもない。
興味深いことに、関東と関西を繋ぐ東海道線が神戸まで全線開通した1889(明治二十二)年は、東京美術学校(現・東京藝術大学美術学部)が開校した年でもあった。鉄道と美術の二つの歩みは、このようにシンクロした軌跡を描いている。
明日(10月8日)から東京ステーションギャラリーで始まる展覧会「鉄道と美術の150年」は、時を同じくスタートしたわが国の鉄道と美術の進展を、政治、社会、旅行、戦争、風俗など多角的な視点から紹介するものだ。今日はその内覧会を覗いてみた。
展示室には、海岸線を疾走する初期の蒸気機関車を描いた小林清親の錦絵、明治の夜行列車を丹念に写した赤松麟作の風俗画、機関車車庫という新たな主題に挑んだ長谷川利行の作品、昭和初年の新宿駅の賑わいを活写した木村荘八の風俗画など、「鉄道絵画」の範疇に括られる名作群がこれでもかと並ぶ。全く未知の作品も数多くあり、1930年代からは写真家たちの視線が捉えた鉄路や蒸気機関車のダイナミックな雄姿が紹介される。
「鉄道と美術」という主題で集めうる限りの作品を一堂に総結集した感があり、この記念すべき年を寿ぐべく、ステーションギャラリーが総力を挙げ、満を持して取り組んだ展覧会であることがよくわかる。準備期間になんと五年を費やしたとのことだ。
鉄道が運ぶのは通勤客や行楽客だけではない。十五年戦争の戦時下では出征する兵士たちや、シベリアへ連行する捕虜たちを乗せた軍用列車があり、戦後の混乱期には駅前に自然発生的に闇市が出現し、棲み処を失った人々が夜な夜な駅の地下通路で眠りこけた。まことに鉄道と列車と駅は時代をまざまざと映し出す鏡なのだ。
このように「鉄道と美術の150年」展は、わが国が歩んだ近現代の道のりを細部までくっきり照らすのだが、不思議なことに1970年代あたりから以降、鉄道や駅を主題とする美術作品がめっきり影を潜め、きわめて特異で個人的な流儀による偶発的な言及や目配せばかりとなる。そのせいもあって、展覧会の終結部分がいかにも弱く、混濁したまま尻切れ蜻蛉の印象を与えるのは残念である。
最後になったが、展覧会カタログが素晴らしい出来映えである。巻頭を飾る冨田 章(当ギャラリー館長)の論考は日本の近代における鉄道と美術の不離不即の関係を明快に解きほぐした力作だし、あえて章立てをせず、個々の「鉄道絵画」や「鉄道写真」を詳述したコラム形式の解説は読み応え充分。隅々まで行き届いた編集(羽鳥 綾)とデザイン(大溝 裕)の仕事ぶりは特筆に値しよう。