土曜日に所用で上京の折り、渋谷のジュンク堂で家人から頼まれたフランス語のテクストを探すついでに新刊書をいろいろと物色。矯めつ眇めつページを捲った末、音楽書と映画本を一冊ずつ買い求めた。そのあとカフェのテラス席で音楽書のほうを読み始め、帰宅後に読了。
田崎直美
抵抗と適応のポリトナリテ ナチス占領下のフランス音楽
アルテスパブリッシング
2,800円(税別)
副題からも明らかなように、1940年6月のパリ陥落から1944年8月のパリ解放まで四年間に及ぶ占領下のフランス音楽の動向を詳しく探った、日本語では初めての著作である。帯の惹句を引いておくと、
レジスタンスか対独協力か・・・・・・
脱出、潜伏、あるいは転向か――
ナチス占領下のフランスで、音楽家はさまざまな生き方を選択した。隠された音楽史を跡づける画期的研究。
まさにそのとおりの本。従来ほとんど知られていなかったヴィシー政府(ペタン元帥を首班とする傀儡政権)の音楽政策が詳しく紹介される。ドイツ音楽一辺倒という事態は回避され、占領下のフランスで愛国精神を鼓舞するため「国民革命」の名のもと、自国文化の保護と称揚の機運が高まり、時ならぬフランス音楽ブームが巻き起こった実相を解き明かす。もちろんユダヤ系の音楽家はすべて解雇され、亡命するか地下に潜るか、収容所に送られたわけだが、それ以外の人々にとっては、被占領時代はむしろ作曲や演奏の機会に恵まれた四年間だったという、思いがけない事実が明らかにされる。
この複雑に錯綜する非常時、誰もが生き延びるのに必死であり、与えられた状況に適応する選択を迫られた。機に乗じてあからさまに対独協力に精を出す者も、秘かにレジスタンス運動に協力する者も、多かれ少なかれ時代の恩恵に浴したのである。
個々の音楽家の動向についても詳しく紹介される。全財産を失い、ほとんど身一つでアメリカ亡命を余儀なくされたダリユス・ミヨー。スイス国籍という特権を生かしてドイツとは微妙な関係を保ちつつ、《火刑台のジャンヌ・ダルク》が何度も上演されるなど、恵まれた地位を保ったアルテュール・オネゲル。当初は日和見主義者だったが、最後はレジスタンスの立場を鮮明にしたフランシス・プーランク。戦争捕虜から帰還し、新作を発表する傍らパリ音楽院の教授職を得たオリヴィエ・メシアン。ヴィシー政府の音楽政策に関わり、愛国的・民衆的なラジオ番組の製作に携わったのち、レジスタンスに身を投じたピエール・シェフェール。ユダヤ人として何度も生命の危機に見舞われ、そのつど間一髪で難を逃れたマニュエル・ロザンタール。ひとりとして同じ軌跡を歩んだ者はいない。
そして戦後には関係者の粛清が待っていた。楽壇の頂点に立ちヴィシー政府の音楽政策の実行者だったアルフレッド・コルトーが責任を問われたのは当然として、ドイツ宣伝局の肝煎りで新設されたラジオ・パリ大管弦楽団の指揮者だったジャン・フルネは地位を失い、反ユダヤ主義のプロパガンダ映画に作曲した廉でジャン・マルティノンはしばらく活動禁止となる。戦後この二人の指揮者が国外での活動に軸足を置いたのは、こうした事情が濃い影を落としていたのだろう。
一方で、戦後になって創り上げられた戦時下の「伝説」「神話」にも筆者は注意を促す。収容所で作曲・初演されたメシアンの《時の終わりのための四重奏曲》を、彼が体験した劣悪な捕虜生活と結びつける記述は、1950年代末になって作曲家が新たに語り始めた「捏造された記憶」らしく、事実とは多分に相違するという。
このように貴重な情報に満ちた有益な好著であるが、章構成がややごたついているうえ、固有名詞の表記にも問題があり(「リリー・ラスキン」「ポール・パレイ」)、パテ・マルコニ社のレーベル "La Voix de son maître" を一貫して「巨匠の声」(!)と表記するなど、フランス音楽史家らしからぬ不手際が目につく。これらはむしろ編集上の瑕疵であり、音楽専門を標榜する出版社の名折れであろう。