JRと地下鉄と西武池袋線を乗り継いで練馬区の富士見台まで出かけた。ここは1980年から1995年まで暮らした懐かしい街だが、1997年に西武線が高架化された頃から商店街が次第に様変わりし、今や見覚えのある店はほとんどない。駅前の八百屋も金物屋も、足繁く通ったカレーの名店「香菜軒」も、定食屋「かつ富士」も、線路際の餃子の「王将」も、とうの昔に閉店してしまった。
今日ふと思い立って富士見台に足を運んだのは、ただ一軒だけ残った馴染みの店「吉見うどん」が年内で閉店すると風の便りに聞いたからだ。あの美味しい手打ち饂飩がもう食べられないのかと思うと、居ても立ってもいられずに出向いたのだ。
駅から歩くこと数分。正午少し前に着くと、店はすでに満席(感染対策で席を減らしてある)。外で五、六分待ってから入店し、昔と同じく「冷やし吉見うどん」を注文した。少しも変わらぬ店構えと内装に懐かしさがこみ上げる。玄関脇にはガラスで仕切られた小さな製麺室があり、ここで店主が麺を手打ちする。
この店は昔も今も夫婦で切り盛りしている。調理場で丁々発止、何やら言い争う声が今日も聞こえてきて、ああ、相変わらずだなと微笑する。1969年の開店から半世紀間、来る日も来る日も麺と打ち、茹で、器に盛りながら、こうして二人で口喧嘩してきたのだ。よほど仲の良い夫婦なのだろう。
しばらくすると「冷やし吉見」が運ばれてきた。大きめの木の器に、茹でた温かい饂飩がたっぷりの具とともに冷たいつゆにひたされ、すべてを覆うように沢山の花鰹がまぶされている。
薬味の葱を載せて少しかき混ぜ、まず饂飩を食すと、かなりの歯応えだ。旨い。これだ、もちもちしたコシの強さと、手打ちならではの不揃いな麺の太さが、この店の身上なのであった。
具は小松菜、榎茸、椎茸、胡瓜、刻んだ油揚、揚げ玉と白胡麻。これらがたっぷり麺と絡み合い、渾然一体となったひと椀なのである。量はかなり多めだから、大盛りだと老人には食べきれないだろう。
奥さんが常連とおぼしき先客と交わした会話によれば、店の入ったビル全体が取り壊され、更地になるという。もう材料は仕入れず、今あるだけの食材を使いきったら年内に閉店してしまうとのこと。ぎりぎりのところで間に合ったのだ。
食べているそばから次々に客がやって来ては「今は満員」と外に待たされている。完食し、茶を飲むと、感傷に浸る間もなく勘定を済ませて席を立った。ああ、これでもう最後になってしまうのか。心の中で老夫婦に感謝と労いの言葉を呟いた。