飯田橋の東京日仏学院――「アンスティチュ・フランセ東京」という名称には今も馴染めない—―の構内の書店「欧明社リヴ・ゴーシュ」が先月末で閉店になったそうだ。小さいながらフランス語専門の書店として、学校の玄関の真向かいに立地し、六十年も店舗を構えていたそうで、懐かしく思い出される向きも少なくなかろう。
フランス語にはとんと不案内な小生も、この学院でしばしば催される映画上映には何度も足を運んだから、上映開始までの待ち時間を利用して店に立ち寄り、碌に読めもしない原書を手に取ったりした。ずらり周囲をフランス書に囲まれていると、なんだかパリの書店にいるような気分になり、極東の島国の貧しい現実をしばし忘れる心地がしたものだ。アンティームで居心地の良い空間だった。
例えば2014年4月、ジャック・ドミー監督作品の特集上映の初日に出向いたときも、整理券を取るためにうんと早く着いた小生は、所在なくこの店で時間をつぶしている。その日の日記を引く。
昨日は飯田橋の東京日仏学院(アンスティチュ・フランセ東京という呼称はどうも馴染めない。舌を嚙みそうで心配になる)でジャック・ドミー(ジャック・ドゥミという呼称にも馴染めない。カトリーヌ・ドゥヌーヴとは表記しないくせに)の特集上映の初日だった。行こうかどうしようか思案していたところ、旧友の田旗浩一さんから懇切なお誘いがあって、久しぶりに足を運ぼうという気になった。
上映演目は順に《パーキング》《都会のひと部屋》《想い出のマルセイユ》の三本。新作が思うように撮れず不遇だったドミーが1980年代、すなわちキャリアの最終段階で手がけた三つのミュージカル映画である。ただし前に観て印象の芳しくない《パーキング》(コクトーの《オルフェ》の翻案ミュージカル)は今回もパス。
混雑が予想されるので早目に赴く。待ち合わせの十一時半まで間があるので、学院前に昔からある小さな書店「欧明社」で時間を潰す。ただ立ち読みするつもりだったのだが、店の片隅に立てかけられた大冊に目が釘付けに。
"Prévert: Portrait d'une vie" (Ramsay, 2007) といい、一見すると展覧会カタログのような体裁で、ジャック・プレヴェールの生涯を通覧する。プレヴェールと聞いて誰もが思い抱く連想――《霧の波止場》《高原の情熱》《天井桟敷の人々》《やぶにらみの暴君(=王と鳥)》、ジョゼフ・コズマとのシャンソン「枯葉」、絵本『月のオペラ』、そして詩集の数々――のすべてが豊富な図版と共に言及されている。こういう本と出逢ってしまうと運の尽き、あゝ知らなきゃよかった。あとで飲食用に充当する心積もりだった七千円が瞬時に消え去った。この出費は痛い!
とまあ、こんな具合に、この店には思いがけない芸術系の新刊書がさりげなく入荷しているから、ちょっと覗くだけのつもりが、期せずして散財してしまう羽目になる。ここの棚には映画雑誌のバックナンバーや、文芸作品の朗読CDも並んでいて、ついつい食指が伸びることも一再ならずあった。マルセル・パニョルが自ら朗読した少年期の回想録『父の大手柄 La Gloire de mon Père』と『母のお屋敷 Le Château de ma Mère』のCDも、ずっと以前ここで見つけたものだ。
長く慣れ親しんだ本屋の閉店は辛く寂しいものだ。それは人の死を見送るのにも似た悲痛な体験である。