藤田敏八監督作品《八月の濡れた砂》はきっかり五十年前の今日、すなわち1971年8月25日にダイニチ映配の手で封切られた(蔵原惟二監督作品《不良少女魔子》と同時公開)。真夏の湘南を舞台に、若者たちの鬱屈した日々を描いた青春映画の秀作である。
日活と大映はともに経営難から配給を一本化して苦境を凌いでいたが、いよいよ逼迫を極め、この二本立てを期に共同配給の解消が決まっていた。日活はやむなく一般映画の製作を諦め、ロマンポルノへと転進する。《八月の濡れた砂》はアクション/青春映画の牙城たる日活が放つ最後の煌めきでもあった。
デビューを前にした石川セリがこの映画の主題歌をあてがわれたとき、「いきなり歌謡曲調なので困った」「この曲をステージなんかで歌わなければいけないのかと思っただけで、まさに悪夢でした」とのちに述懐するほど、この歌を内心では忌み嫌っていた。
ところが、TBSのアナウンサーで深夜ラジオ番組「パックインミュージック」のDJだった林美雄は、公開された映画《八月の濡れた砂》とその主題歌を熱愛するあまり、番組で繰り返し話題にし、映画会社から借りた主題歌の音源を流したばかりか、映画の上映会を兼ねて彼女のミニ・コンサートまで催すほど、熱狂的に推した。その傾倒ぶりはほとんど常軌を逸していた。
数年後、石川セリは数百人の番組リスナーの前で「林さんが《八月の濡れた砂》を『いい!』って言ってくれなかったら、私は今、歌っていたかどうか。《八月の濡れた砂》が知られなかったら、歌い続けることはできなかったと思う」と、林美雄への感謝の言葉を口にした。
キャニオンレコードから出た石川セリのデビュー・シングルも《八月の濡れた砂》である。ただしB面扱いと決まった。発売が映画公開から半年も経った1972年3月にずれ込んでしまい、季節外れの歌をイチオシできなかったのだろう。代わってA面に収まったのは《小さな日曜日》という新曲だった。
ジャケット写真を見ると、レコード会社が新人の石川セリを扱いかね、イメージ戦略に苦慮したのがわかる。当初、彼女は山本リンダの小悪魔的な妹分といった微妙な位置づけだったのだ。
石川セリにとって幸運だったのは、このA面になった《小さな日曜日》が彼女に似つかわしい、なかなかの佳曲だったことだ。
なんといっても、弾むようにポップで垢抜けた曲調がいい。作曲を手がけたのは樋口康雄。「ピコ」の愛称で若きソングライターとして注目を集めていた。高校生で自らのグループ「シング・アウト」を率いてNHK・TV「ステージ101」に出演し、早熟な才能を発揮した。
石川セリもその「シング・アウト」の一員だったのである。彼女のデビュー・シングルの作曲を樋口が手がけたのは僥倖でもあり、必然でもあった。
《小さな日曜日》は歌詞もまた秀逸である。手がけたのは練達の作詞家として名高い山川啓介だ。
一見すると若いカップルのあどけない恋物語を謳ったようにみえるが、軽快な曲想に騙されてはいけない。三番まで来ると、「持ち主をなくしたくつが/二つ寄りそい潮騒をきいていました」とあり、この恋の行きつく先がどうやら「心中=入水自殺」という悲劇的な結末なのがやんわり示される。とはいうものの、よほど注意深く耳を欹てないと、それと気づかぬままにやり過ごす一節かもしれない。
まさしくプロの作詞家の高度な技というべきだろうが、この意味深長な歌詞を、ニ十歳の石川セリはなんと軽々と、初々しい情感を籠めて唄っていることだろう。実のところ、録音時のセリは歌詞の含意にまるで気づかぬまま、無邪気に屈託なく声を張り上げたのだという。だからこその名唱なのだ。