待望久しい、というか、否むしろ、あまりにも長く待ち侘びすぎて、金輪際もう耳にすることはあるまいと半ば諦めていた音源が遂にCD化された。大袈裟ではなしに、生きていてよかったと思う。コロナ禍の今、滅多に味わえない歓びである。
"Gerhard: The Plague / Walton: Façade / Stravinsky: The Soldier's Tale"
アルベール・カミュ&ルベルト・ジェラルト:
《ペスト》*
イーディス・シットウェル&ウィリアム・ウォルトン:
《ファサード》**
C=F・ラミュ&イーゴリ・ストラヴィンスキー:
《兵士の物語》***
指揮/アンタル・ドラーティ*、ウィリアム・ウォルトン**、ゲンナジー・ザルコーヴィチ**
収録年/1973年*、1969/72年**、1975年***
豪Eloquence Decca 484 2200 (2CDs, 2021)
いずれも英国のArgoが制作・発売したアルバムだが、朗読付きの20世紀音楽というだけが共通点で、出自も作風もおよそ異なる三作品をかなり無理矢理ひとまとめにした再発盤CD。呉越同舟の感は否めないものの、三つとも1970年代にLPで出たきり、長いこと顧みられなかった稀少な音源である。
どれもオリジナルのLPで架蔵するが、小生にとってのお目当ては言うまでもなく《兵士の物語》にほかならない。
その理由については、以下の旧稿をお読みいただこう。
もう長いこと耳にする機会を得ないが、拙宅に夥しい数あるラミュ=ストラヴィンスキーの《兵士の物語》音源のうちで、最も目覚ましく、にもかかわらず最も「呪われた」一枚がこれだろう。
"Stravinsky: The Soldier's Tale"
ストラヴィンスキー:
《兵士の物語》英語版
台本/シャルル=フェルディナン・ラミュ Charles-Ferdinand Ramuz
英訳/ナイジェル・ルイス Nigel Lewis
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企画製作/アラン・シーヴライト Alan Sievewright
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語り手/グレンダ・ジャクソン Glenda Jackson
悪魔/マイケル・マクリアモア Micheál MacLiammóir
兵士/ルドルフ・ヌレーエフ Rudolf Nureyev
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ゲンナジー・ザルコーヴィチ Gennady Zalkowitsch 指揮
ヴァイオリン/エリック・グリュンバーグ Erich Grunberg
コントラバス/ゲイリー・ブレナン Gary Brennan
クラリネット/ジャーヴェイス・デ・ペイヤー Gervase de Peyer
ファゴット/ジョン・プライス John Price
トランペット/グレアム・ホワイティング Grahame Whiting
トロンボーン/アルフレッド・フラジンスキ Alfred Flazynski
打楽器/トリスタン・フライ Tristan Fry
1975年9月5日、ロンドン、トリントン・パーク、デッカ・ステュディオズ(音楽)
1975年9月、ロンドン、フラム・ロード、アーゴ・ステュディオズ(語り)
英Argo ZNF 15 (LP, 1977)
故郷を失って世界を放浪する兵士役をルドルフ・ヌレーエフにやらせようと考えた知恵者がいた。対する悪魔役はアイルランド詩人で演劇界の重鎮でもあるマイケル・マクリアモアに演じさせ、ナレーターには英国きっての実力派女優グレンダ・ジャクソンを起用する。
結果は実に目覚ましいものだ。世にも名高いコクトー=ユスティノフ=マルケヴィッチ盤の牙城に迫る数少ない対抗盤といえようか。しかしながら、この意欲的な企てに運命の女神は微笑まなかった。
これだけ斯界の大物、人気者、実力者を揃え、満を持してスタジオ収録したのに、さしたる話題にもならず、ほどなく忘却の淵に沈んでしまうとは、つくづく不憫なディスクである。1977年にLPで出たきり、一度たりとも再発されていない。
引用終わり。以上が旧稿(2019年11月13日)である。
無言のパントマイム役の王女を除いては、兵士も悪魔も男性、そこにやはり男のナレーターが加わると、男声の三つ巴状態になって、耳から聴いただけでは誰が誰やら、役柄が今一つ判別しがたい。
そこでナレーター役を女性に割り振ろうと考えたところに、本盤の大きな特色がある。これは十年前に出たレオポルド・ストコフスキ指揮盤(1967)でマドレーヌ・ミヨーがナレーションを務めた先例に倣ったものだ。たしかにこれだと兵士と悪魔の対比がくっきり浮かび上がって、聴覚的にわかりやすく、効果満点なのだ。
この方式はその後、斎藤ネコ指揮盤(ナレーター/戸川純)、シュルモ・ミンツ指揮盤(ナレーター/キャロル・ブーケ)、オリヴァー・ナッセン指揮盤(ナレーター/ハリエット・ウォルター)などへと引き継がれていく。いずれも好演盤なのは偶然ではあるまい。