岩波少年文庫が昨年暮れ、正確にいえば2020年12月25日に創刊七十周年を迎えた。これを記念して、この三月に『岩波少年文庫のあゆみ 1950–2020』(岩波書店)という本が出たと風の便りに知らされた。
なにしろ地元には新刊書店がなく、上京する機会も途絶えたものだから、現物を手にすることなく一か月が過ぎようとした矢先、たまたま「フローベルグ」という古書店のサイトから新品が購入できることを知り、数冊の中古絵本と同梱で送ってもらった。
到着した『岩波少年文庫のあゆみ』を、届いたその日のうちに一気に通読してしまった。帯の惹句に「初めての岩波少年文庫大全」とあるのは偽りでない。本書は小さな器(岩波少年文庫と同一フォーマット)になかに、知りたいこと、語られるべきことのすべてがぎっしり盛り込まれていたからだ。
戦中に準備された少年文庫の構想に始まり、1950年の創刊までのゆきさつ、石井桃子、乾富子ら編集スタッフが残した証言、装幀とフォーマットの変遷から辿った七十年の歩み、挿絵や訳文を通じて探る少年文庫の奥深い魅力。さまざまな切り口から、この老舗シリーズならではの特色が浮かび上がる。
本書カヴァーに刷られた「若菜晃子 編著」の名を目にしたとき、まだ繙く前から、信頼のおける本に違いないと確信した。
彼女は三年前に自ら編集を手がける雑誌『ミューレン(Mürren)』で岩波少年文庫を特集し(第二十二号、2018年1月)、やはり小さな器に盛り沢山の情報とたっぷりの愛情を注ぎこんでいたからである。
当事者の証言も、フォーマットの変遷も、すでに『ミューレン』誌の特集で取り上げられていたが、今回の書物ではいっそう深く掘り下げられ、多角的に検証されている。石井桃子、乾富子、編集部が折々に書き残した文章が再録され、全六期に及ぶ装幀の変遷もカラー図版で丁寧に辿られる。これまで不分明だった事実が次々に明かされて、目から鱗がごそっと剥がれ落ちた思いである。
岩波少年文庫の細部への目配りや、トリヴィア的な話題にも事欠かない。表紙デザインの作者やその由来、本扉のマーク、巻末の「発刊のことば」、奥付の表示までが俎上に載せられ、それぞれ周到に検討され、その意味するところが解き明かされる。
本書の末尾には重宝な「関連年譜」と「岩波少年文庫 総目録」が附されて資料性も充分、至れり尽くせりである。帯に記された「初めての岩波少年文庫大全」は誇張ではなかったのだ。
1952年生まれの小生の子供時代はもっぱら俗悪な「講談社の絵本」ばかり買い与えられ、岩波少年文庫とは全く無縁だった。1960年に妹が生まれ、その選書指南のために中学時代(1960年代中頃)に神田神保町で現物を目にしたのが最初だった。
そのとき、岩波書店からはすでに「ドリトル先生」シリーズやケストナーやリンドグレーン、さらには「ナルニア国ものがたり」「アーサー・ランサム全集」が陸続と刊行されつつあったから、岩波少年文庫はなんだか古めかしく、影の薄い存在だったのを思い出す。
それもそのはず、本書によれば岩波少年文庫は1962年から1974年まで新刊は一冊も出ておらず、開店休業状態。段ボール函入りの旧版(装幀「第二期」)と、本体と函に同じ絵柄が入る上製本(装幀「第三期」、1967年~)が混在する過渡期だったと本書を読んで知った。
今も手元に残る数例を挙げると、ケストナー『エミールと探偵たち』(小松太郎の名訳!)、チャペック『長い長いお医者さんの話』(中野好夫の名訳!)は段ボール函入り、ネムツォヴァ『おばあさん』(栗栖継の名訳!)とノーソフ『ヴィーチャと学校友だち」(福井研介の名訳!)は函入り上製本である。
三年前の『ミューレン』特集号で、若菜晃子さんは次のような「私の10冊」を挙げていた。
3.『風にのってきたメアリー・ポピンズ』P・L・トラヴァース
ふ~ん、こんなものか。なんだか冴えないラインナップだ。選書の基準が不明確で、これはちょっといただけない。
それに対して、本書で彼女が「少年文庫の代表作15」として新たに挙げたラインナップはこうである。
3.『風にのってきたメアリー・ポピンズ』P・L・トラヴァース
6.『あのころはフリードリヒがいた』ハンス・ペーター・リヒター
11.『クリスマス・キャロル』チャールズ・ディケンズ
14.『クローディアの秘密』E・L・カニグズバーグ
このほうがはるかに魅力的なセレクションだ。そうなった理由は、枠が十五冊に広がったからだけではあるまい。
では小生も試してみよう。ただし「少年文庫版が初出のオリジナル」という条件を付けてみた。さもないと際限がなくなる。
1.『りこうすぎた王子』A・ラング、光吉夏弥訳 ▼
4.『おにごっこ物語』マルセル・エーメ、鈴木力衛訳
6.『オタバリの少年探偵たち』セシル・デイ・ルイス、瀬田貞二訳 ▼
7.『プラテーロとぼく』フワン・ラモン・ヒメネス、長南実訳
8.『リビイが見た木の妖精』ルーシー・M・ボストン、長沼登代子訳
9.『古森のひみつ』ディーノ・ブッツァーティ、川端則子訳
10.『こいぬとこねこのおかしな話』ヨゼフ・チャペック、木村有子訳
ざっとこんなところか(刊行年代順)。▼印のものは新訳に取って代わられているが、旧訳のほうに愛着があるので、あえて含めてある。