かれこれ半世紀間も平野甲賀の存在を強く意識してきたのに、その謦咳に接することは一度もなかった。仕事のうえで接点がないのは当然として、レクチャーや対談を拝聴する機会にも恵まれなかったのは残念というほかない。
いや、そんなことはないぞ――とふと思い出す。一度だけだが、すぐ近くからご尊顔を拝する機会があったではないか。
あれは2000年前後だったろうか。たまたま出版社に勤める友人と会うことになり、待ち合わせ場所に神楽坂の「巴有吾有(パウワウ)」という喫茶店の二階を指定された。
その店は飯田橋駅から坂を少し上った左側にあり、板張りの山小屋ふうの落ち着いた佇まいをしていた。その日は早めに着いたので、ひとまず階段を二階へ上がり、少し待つことにした。
「二階はいつも空いている」と友人から聞かされていたとおり、かなり広いフロアには誰もおらず、ひっそり閑と静まり返っている。とりあえず窓際に席を取り、一服すべく煙草に火を点けようとしたとき、斜め後ろの隅の席に先客が一人いることに気づいた。ちらと横目で一瞥し、その風貌から平野甲賀その人に違いないと直覚した。
平野さんはひっそりと、くつろいで、少し所在なげに、飲みかけの珈琲を前に、本を読んでいらした。もちろん声をかけて邪魔するような野暮な真似はしない。ああ、ここで今、自分は平野甲賀と同じ時間と場所を共有しているのだと思うだけでもう充分だった。
ほどなく約束の時刻きっかりに友人が現れると、それとすれ違うように平野さんはふっと席を立って、静かに立ち去られた。
友人に尋ねてみると、平野さんは仕事場がすぐ近くにあるとかで、この店の二階で時おり姿をお見かけする由。仕事の打ち合わせに利用されているらしい――平然とそう語るあたりが、いかにも訳知りな出版界の人間だなあと思ったものだ。
ずっと後年、平野甲賀のエッセイを読んでいたら、文中「巴有吾有」が言及されているのに気づいた。ブックデザイナーの祖父江慎との対談場所に、「坂の途中の喫茶店の二階で」と、名指しでこの店を提案している。やはり、彼はここの常連だったのだ。
この偶然の遭遇から数年後の2006年、「巴有吾有」は一帯の立ち退きにあって、いとも呆気なく閉店した。
2005年、平野甲賀は奥さんとともに、ここから歩いて数分の神楽坂上(新宿区岩戸町)に小劇場「シアターイワト」を開設し、そのプロデュースに尽力されたが、ここもまた建物の老朽化から2012年に閉館を余儀なくされ、これを期に神楽坂界隈との絆は絶たれてしまった。