半世紀に及ぶドビュッシー好きを自認しながら、《海》という曲が昔からどうにも苦手である。良さがさっぱりわからない。
いかにもありがちな「海」の外面的な描写に留まっていて、同じ管弦楽曲でも《夜想曲》の幽玄な心象風景には及ぶべくもなく、バレエ音楽《遊戯》の変幻自在の新境地にも到達できない。「水の音楽」の系譜に属しながら、《ペレアスとメリザンド》や《オンディーヌ》の神秘や魅惑が片鱗もない。あえて言うなら、ドビュッシーらしい霊感に乏しい普通の音楽なのだ。
だから、青柳いづみこさんが《海》の六手二台ピアノ用編曲版の珍しい楽譜をパリで発掘し、このたび世界初録音したと風の便りに知らされても、すぐに食指が伸びないまま年を越した。いずれコロナ禍が去ったら演奏会場で手に入れればいいやと思っていた。
そんな小生の怠慢を見透かすかのように、青柳さんからそのCDが送られてきた。ありがたく拝聴することにする。これが今年の「初聴き」である。
”Debussy: La Mer -- Transcription pour 2 pianos à 6 mains par André Caplet"
クロード・ドビュッシー(アンドレ・カプレ編曲):
三つの交響的素描《海》
マヌエル・デ・ファリャ(ギュスターヴ・サマズイユ編曲):
《スペインの庭の夜》
ピアノ(六手二台)/青柳いづみこ、森下 唯、田部井 剛
2020年2月18~20日、東京・五反田文化センター、音楽ホール
Ottava OTTAVA-10005 (2020)
いやはや、予想を遥かに超えた、凄いほどの名演である。もっと早く聴くべきであった。
実はこの六手用の《海》は一昨年一月の演奏会(ハクジュホール)で、同じ三人による日本初演を耳にしたのだが、そのときはまだ良さが十全に味わえなかった。だが今はこの編曲版の驚異的な精密さが手に取るようにわかる。あえて言うならば、オリジナルの管弦楽版を上回るほどの細やかさ、感興の豊かさなのだ。このカプレによる六手版はドビュッシー以上にドビュッシーを感じさせる。端倪すべからざるアンドレ・カプレ!
苦手意識がつきまとう《海》だったが、この六手版を聴くことで、初めてこの曲をドビュッシーの「水の音楽」の系譜――《ペレアス》の噴水や洞窟や海景の場、水にちなんだピアノ曲の数々と並べて、初めて同列に語ることができる気がした。単なる外景描写ではなく、作曲家の胸中に宿った「海」の内的風景がまざまざと実感できたのである。
《海》のピアノ用編曲版というと、作曲者自身による連弾版、同じカプレ編曲による四手二台ピアノ版が存在し、すでに複数の録音が出ているが、この六手二台ピアノ版は抜きんでて優れているように思う。単に音の数が多いというだけでなく、編曲における細部への目配りが半端でなく、原曲のあらゆるニュアンスが掬い取られている感が強い。
ここだけの話だが、《海》におけるドビュッシーのオーケストレーションはいささか不首尾に終わっており、ピアノで聴いたほうがオリジナルの楽想がつぶさに聴こえるという面も否めないだろう。第三曲の終わり近く、ファンファーレふうに盛り上がる箇所で、原曲の初出楽譜にあるトランペットの合いの手(モントゥーやアンセルメは採用)が、この六手二台ピアノ版でも(部分的にだが)実践されているのも聴きどころである。
六手二台ピアノとは耳慣れない編成だが、第一ピアノを独奏で、第二ピアノを連弾で奏するという分担らしく、この録音では第一ピアノを森下が、第二ピアノを青柳(プリモ)と田部井(セコンド)が受け持っている(らしい)。CDブックレットにそう明記されているわけではないが、掲載写真からそう推察される。
CDで聴く限り、演奏の主導権を誰かが握ってリードすることなく、ピアニスト三人が対等に、めいめいの領分からアイディアを持ち寄って、それらを縒り合わせ、互いの個性を照らしあいながら、さらなる高みを目指すという姿勢が感じ取れる。ここに聴けるのは六手の演奏がもたらす幾層倍にも膨れ上がる音楽の豊かさである。1+1+1 の足し算ではなく、掛け算のような相乗効果が生まれるのだ。《海》は自然界の生々流転を内面化させた「生の歓び」の音楽だった。
つづくデ・ファリャ《スペインの庭の夜》の六手版も初めて聴いたが、これもなかなかいい。オーケストラ抜きでも充分に楽しめた。ただし、管弦楽をそのまま第二ピアノに移したサマズイユの書法の限界もあるのか、カプレ版《海》ほどの感興をもたらすには至らない憾みがある。
アルバムの最後でアンコールふうに、わが鍾愛の作曲家パーシー・グレインジャーの《緑の茂み Green Bushes》を聴けたのも嬉しかった。たいそう設計の堅固な、全体を大きな流れとして捉えた堂々たる名演である。グレインジャーを大正期の日本に初紹介した大田黒元雄に、この演奏をなんとしても聴かせたかったなあ!
ここ数年間、青柳さんは高橋悠治を連弾の共演者に選んで、アルバム「大田黒元雄のピアノ」を皮切りに、ストラヴィンスキーの《春の祭典》や《ペトルーシュカ》、サティの《パラード》や「フランス六人組」の諸曲を録音し、実演でも披露してきた。
お二人の連弾がたいそう刺激的で、無類の面白さを醸すことは否定しないが、今回のアルバムで三人の奏者の鮮やかな協働作業に触れてしまうと、やはりこちらの在り方――それぞれの音楽性を尊重しあいながら、より高次元で音楽を結実させる――こそが連弾や二台ピアノ演奏の王道だという思いを強くした。互いを認め合う協調の姿勢こそがアンサンブルの本質なのだ。