美術館を辞める決心をしたとき、真っ先に脳裏に閃いたのは、ああ、これでもう当分は外国に行けなくなるなあ、という思いだった。定職と定収入を失うのだから、海外旅行など夢のまた夢。当然である。残念だが致し方ない。このまま不本意な状態で心身をすり減らすのは真っ平だったのだ。
一年前、身近な年長者が五十八歳の若さで亡くなったことが念頭から去らなかった。人生というマラソン・レースは肝心の走行距離がランナーに知らされない。折り返し地点かと思ったらハーフ・マラソンだった、というのでは悲しいではないか。
そこできっぱり決断した。リンボウ先生こと林望氏が五十かっきりで大学を辞した顰みに倣って、小生もその歳をしおに引退することに決めたのだ。十月の誕生日で五十一になるので、その前にぎりぎり九月末の退職とした。2003年のことである。
在職中の有給休暇が四十日以上も残っていた。そこで八月に無理矢理一週間の休みをとって、これが見納めのつもりでロンドンへ旅立った。真夏の英京はこれが初めてだ。帰り道にモスクワに立ち寄り、翌年の「幻のロシア絵本」展の準備で人と逢う用件(こちらが外遊の主目的)もあったので、ロンドン滞在は8月10日から13日まで、正味わずか四日間しかない。
ヨーロッパの夏は音楽も芝居もオフ・シーズン。しかしながらロンドンでは毎日のように演奏会がある。然り、名にし負う「プロムズ」こと、プロムナード・コンサートだ。当日券で立見はちと辛いので、出発前にあらかじめ三回分の切符を押さえた。
これだけ確保して、あとは例によって、到着してから情報誌 "Time Out" を貪り読んだ。さすがにロンドン。夏の真っ盛りというのに、観たい演し物があるある。アダム・クーパーが主演するロジャーズ&ハートのミュージカル《オン・ユア・トウズ On Your Toes》の前売券を窓口で買い求めた。
そして極め付けは英京滞在最終日。
二年前の2001年からずっとリヴァイヴァル公演が続いていたミュージカル《マイ・フェア・レディ》が8月いっぱいで閉幕になるという。会場はドルーリー・レイン王立劇場。ラスト・ランにぎりぎりのところで間に合うことがわかった。これも何かの縁であろう。
ドルーリー・レイン王立劇場(Theatre Royal Drury Lane)は古色蒼然たる建物だ。なにしろ、現存するロンドンの劇場で最も歴史が古いのだ。場所も少し変わっていて、ウェスト・エンドの多くの劇場が林立するシャフツベリー・アヴェニューではなく、さびれた裏道ドルーリー・レインに立地する。しかもその通りにはなぜか背を向けて建つ。
コヴェントガーデン王立歌劇場のはす向かいなので、いつも遠目に建物を眺めてはいたものの、ついぞ足を向けたことはなかった。
とはいえ、ここは由緒ある特別な劇場である。なにしろ1674年の創設といい、ギャリックやシェリダンら名だたる劇作家が拠点とした歴史をもつ。近代バレエ史に詳しい人なら、1913年と1914年にディアギレフのバレエ・リュスが公演した場所としてドルーリー・レイン王立劇場の名を記憶しているはずだ。
小生もまた、1914年6月に大田黒元雄がここへ日参し、シャリャーピン主演で歌劇《ボリス・ゴドゥノフ》や《イワン雷帝(プスコフの娘)》に接し、バレエ・リュス公演で《金鶏》や《ダフニスとクロエ》や《ヨセフ伝説》、なかんずく《ペトルーシュカ》を観て圧倒された劇場として、とりわけ特別な聖地と認識している。
かかる歴史的なトポスに初めて足を踏み入れるとあって、それだけでもうワクワクする。しかもこの劇場は、1958年に《マイ・フェア・レディ》がブロードウェイから大西洋を渡ってロンドン上陸したとき、目覚ましいロング・ラン(2,281回!)を繰り広げた記念すべき場所でもあるのだ。
《マイ・フェア・レディ》を舞台で観るのは永年の宿願だった。もちろん日本でもイライザに大地真央が扮した公演が何度も繰り返されているのだが、これにはまるで食指が伸びなかった(たぶんミスキャストだと思うから)。どうせ観るのならブロードウェイかウェスト・エンドで、と心中ひそかに念じていた。
だから、この初演場所でのリヴァイヴァルを見逃す手はない。切符は劇場窓口でいとも容易に手に入った。しかも四列目の中央だ。英京逗留最後の日に、これほど相応しい観劇体験はないだろう。
素気ない外観からは想像できなかったが、正面入口から入場すると、そこには優美な廻り階段が設えられ、係員に促されるまま上階へと導かれる。歩きながらふと見上げると、天井は綺麗なロタンダ(ドーム状の丸天井)になっていて、午後の外光が柔らかく射し込む。九十年前に大田黒元雄もこの階段を上っただろうと想像すると、もうそれだけで胸が一杯になる。
2003年8月13日(水)2:30pm-
ドルーリー・レイン王立劇場
ミュージカル《マイ・フェア・レディ》
原作/ジョージ・バーナード・ショー
台本・作詞/アラン・ジェイ・ラーナー
作曲/フレデリック・ロウ
演出/トレヴァー・ナン
振付/マシュー・ボーン
装置・衣裳/アンソニー・ウォード
出演/
イライザ: ローラ・ミシェル・ケリー Laura Michelle Kelly
ヒギンズ: アンソニー・アンドル-ズ Anthony Andrews
ドゥーリトル: ラス・アボット Russ Abbot ほか
2001年3月、国立劇場リトルトン・シアターで開幕した《マイ・フェア・レディ》のリヴァイヴァル公演は、同年7月からはこのミュージカルの「古巣」ドルーリー・レイン王立劇場でロング・ランに入り、翌年のローレンス・オリヴィエ賞を総なめにした(八部門にノミネート、三部門で受賞)。
それからも同劇場での上演は好評裏に延々と続き、三年目の2013年8月30日にようやく千穐楽を迎えた。小生が観たのは、その終わり近いマチネ公演ということになる。
その間に主だった配役はすっかり入れ替わり、上に名前を挙げた三人は初演時から数えて三代目にあたる。とはいえ、さすが本場のミュージカルだけあって、非力な者なぞ一人としていない。歌いながら演じる行為が完璧に身についた俳優たちによる、非の打ちどころのない舞台が繰り広げられた。
役者たちの歌と芝居の上手さとともに際立っていたのは、場面転換の鮮やかさだった。冒頭のコヴェントガーデンの夜更けの雑踏の景から、ウィンポール街の教授邸の書斎へ、さらには大使館の舞踏会や、マスコット競馬場へと変化する場面の移ろいが驚くほどスムースで、不要な待機時間が物語の流れを妨げることがない。
しかも、それぞれの装置は、最初のコヴェントガーデンで強調された鉄骨のアーチ状の骨組を巧みに反復するよう設計されており、視覚的な統一感が生まれるあたり、見事な舞台装置だと感じ入った。
トレヴァー・ナンの演出には奇を衒ったところはなく、すでに定着したミュージカルのイメージ(つまり映画版のそれ)を裏切りはしないものだが、登場人物の造形がこまやかに行き届き、さりげない一挙手一投足にまで、演出の眼が光っていると感じられた。
第一幕でイライザが「素敵じゃないの? Wouldn't It Be Loverly」と歌うあたりで物語に弾みがつき、客席と舞台との一体感が醸成されるのが感じられた。続いてドゥーリトル父が仲間たちと楽天的に歌い踊る「運がよけりゃ With a Little Bit of Luck」では、鮮やかなリズムを導入して賑やかに盛り上げる、少し長めのダンス場面が用意されていた。振付をマシュー・ボーンに委ねた成果というべきだろう。
人口に膾炙した演目であり、しかも夏休みの平日のマチネ公演ということもあり、客席は小生のような外国からの観光客とおぼしき姿とともに、いかにも田舎から上京したとわかるお上りさんの一群も混じっていて、スノッブで見巧者然としたいつものロンドンの観劇とはまるで雰囲気が異なるのも印象的だった。
よく勝手知ったるミュージカルを心ゆくまで愉しもうという気分が客席に溢れていて、随所で一緒に歌いだす声がほうぼうで巻き起こる。《マイ・フェア・レディ》がいかに愛されているか、その人気のほどを思い知らされた。小生も小声で唱和しましたとも。
そんなわけで、休憩を挟んで三時間が少しも長く感じられない、特別な至福のときを満喫したあと、うっとりとした気分でドルーリー・レイン王立劇場から外に出ると、目の前には午後の陽を受けた現実のコヴェントガーデンの歌劇場と青物市場跡の実景が広がっていて、夢とうつつの境界が曖昧になって、思わず立ち眩みがしたものである。