前々から予約していた新譜CDが今日やっと届いたところである。発売日が何度か変わり、やきもきしていたのだ。
《天羽明惠/R・シュトラウス:4つの最後の歌》
シェーンベルク:
《四つの歌曲》作品2(1898)
■ 期待
■ 僕に君の金の櫛を贈ってくれ~イエスの懇願
■ 高揚
■ 森の木漏れ陽
ウルマン:
《リカルダ・フーフの詩による五つの愛の歌》作品26(1939)
■ お前はどこからそのすべての美を受けたのだ
■ ピアノを弾きながら
■ 嵐の歌
■ もし私に何か良いものが書けるとすれば
■ おお、美しい手よ
山田耕筰:
■ 紫 (1924)
《澄月集》(1918)
■ 山また山
■ 月をのする
■ 行きまよひ
■ ただ澄める
■ なかなかに
シュトラウス:
■ 君は私の心の冠 作品.21の2
■ 薔薇の花飾り 作品36の1
■ 明日! 作品27の4
■ 私は漂う 作品48の2
《四つの最後の歌》
■ 春
■ 九月
■ 眠りに就こうとして
■ 夕映えのなかで
ソプラノ/天羽明惠
ピアノ/ジークムント・イェルセット
2019年3月12~15日、ベルリン、b-sharpスタジオ
キングインターナショナル AACL 2001 (2020)
シュトラウスの歌曲集《四つの最後の歌》音源の完全蒐集を志す者として、逃すことのできない一枚だが、天羽明惠(あもうあきえ)の新譜を手にする興味はそれに留まらない。
日本人による歌唱という点では、すでに西松甫味子(1988収録、私家盤)、佐々木典子(2009収録)、森麻季(2010収録、管弦楽伴奏)の全曲録音があり、もはや珍しい企てではない。
特筆すべきは、歌唱の目覚ましい卓越であり、考え抜かれた選曲の妙とアルバム構成の冴えである。これはよくある「シュトラウス歌曲集」の類いとは全く次元を異にする試みなのだ。
末尾に収められた《四つの最後の歌》に行きつくまでに、このアルバムを聴く者は、前世紀末のシェーンベルクの若書きの耽美、その門下生ウルマンによる密やかな官能、時代に掉さす山田耕筰の彫琢と洗練、そして若き日のシュトラウス自身の甘美で清冽な浪漫を、実り豊かな果樹園さながら順番に通り抜ける。
驚くべきことに、違和感や齟齬はまるきりない。独墺圏の作曲家たち(1910年代のベルリン留学でシュトラウスに私淑した山田耕筰もその圏域にいた)が磨きあげた語法が、歌曲の分野をいかなる高みに押し上げたか、その成果を私たちは存分に味わう。
この半世紀の旅路の果てに、シュトラウスの遺作が位置するのだという、天羽明惠のメッセージの正しさ、それを裏打ちする表現の深さに、評する言葉を失ったまま聴き惚れた。
これまで世に出た百数十点の《四つの最後の歌》録音のなかで、本アルバムは間違いなく上位に位置づけられ、独自性を主張しうる優れた達成である。わが国にも凄い歌手がいたものだ。