『芸術新潮』2004年7月号の特集「ロシア絵本の素晴らしき世界」の締めくくりに、「恋して蒐めて四半世紀」と題して、ロシア絵本との出逢いを小生はこう物語っている。
・・・いまから25年前、東京中野の古本市でロシア絵本の山を見つけて、どうにも野暮ったくて、印刷も悪いなと思ったけど、とにかく1冊100円で安いから、そこにあった11冊全部買いました。そしたら、そのうち戦前の2冊だけはとてもよかった。それがコナシェーヴィチの『火事』とチャルーシンの『自由な鳥たち』だったんです。はじめにこのふたつの傑作と出会ったのが決定的でしたね。
戦後の絵本はみな駄目で、古いものが断然いい。なぜそうなのかはわからない。ロシア・アヴァンギャルドという言葉すら知らなかった25年前のぼくにとって、ロシア絵本の何たるかを理解するすべもなかったけれど、自分の感覚を信じて、とにかく見つけたら迷わず買いつづけた。・・・
サムイル・マルシャーク(詩)
ウラジーミル・コナシェーヴィチ(絵)
火事 Пожар
1932年(第九版)
レニングラード、「若き親衛隊」
エヴゲーニー・チャルーシン(絵)
自由な鳥たち Вольные птицы
1931年(第二版)
レニングラード、「若き親衛隊」
「幻のロシア絵本」展の開催に合わせた雑誌インタヴューに答えてから、さらに十六年もの歳月が流れた。上に述懐したロシア絵本との「最初の出逢い」(1980年4月、中野サンプラザ前の青空古本市)は今から四十年も昔の出来事になる。
そのわりに記憶はくっきり鮮明である。練馬区に住む小生は勇んで古本市の初日に出向き、百冊以上を買い上げた。こう書くとなんだか大人買いみたいだが、その日暮らしの貧書生のことだ、どれもこれも百円から三百円の雑本ばかりだった。
論より証拠、手控え帖から購入記録を書き写しておく。
4月26日(土) (中野)
ギヨ:ミシェルのかわった冒険 300
マトゥーテ:ユリシーズ号の密航者 300
ジョージ:コパー川のかわがらす 200
カッタン:深夜の急行列車 300
マシキン:青い海・白い船 300
クラーク:魔神と木の兵隊 300
C・S・ルイス:ライオンと魔女 300
クリュス:あごひげ船長九つの物語 300
クリュス:風のうしろのしあわせの島 300
リンドグレーン:名探偵カッレとスパイ団 300
リンドグレーン:親指こぞうニルス・カールセン 250
ミルン:クマのプーさん+プー横丁にたった家 250
マックロスキー:ゆかいなホーマーくん 200
パウケート:さすらいの少年 250
ラダ:きつねものがたり 200
ディヤング:白ネコのぼうけん旅行 200
スレイ:黒ネコの王子カーボネル 200
グリム:おいしいおかゆ 150
グリム:ホレおばさん 150
グリム:一つ目二つ目三つ目 200
岡野薫子:銀色ラッコのなみだ 100
ロフティング:ドリトル先生航海記(2) 200
宮沢賢治:銀河鉄道の夜 300
宮沢賢治:風の又三郎 300
サン=テグジュペリ:星の王子さま 300
いぬいとみこ:みどりの川のぎんしょきしょき 300
ケストナー:エーミールと探偵たち 150×2冊
ワイルダー:大きな森の小さな家 300
『日本児童文学』1978年9月号(いぬいとみこ特集) 250
石森延男:コタンの口笛(1) 100
バーマン:アライグマ博士と悪党たち 100
ガリコ:ハリスおばさんパリへ行く 100
パイル:続ロビン・フッドの愉快な冒険 100
ローベル:とうさんおはなしして 200
與田準一:五十一番目のザボン 100
サンチェス=シルバ:ルイソの航海 150
リュートゲン:謎の北西航路 350
ルイス:魔女とライオンと子どもたち 150
石森延男:パンのみやげ話 150
ランサム:六人の探偵たち 350
エステス:黄色い家 150
いしいももこ・あきのふく:いっすんぼうし 100
ウェルフェル:こんにちはスザンナ 150
ローベ:リンゴの木の上のおばあさん 200
カールソン:橋の下の子どもたち 150
ブリューノフ:ババール(講談社シリーズ)2~6 200×5冊
ブリューノフ:同上 2、3、6 150×3冊
Ungerer:The Mellops Go Diving for Treasure 100
Ross & Mortimmmer:English Fashions (Puffin, 1950) 200
Badmin:Village and Town (Puffin, 1948) 200
Thomas & Sikes:Pottery and Its Making (Puffin, 1950) 200
五島謹一(編):イソップ名画集(ドレ画) 200
マルシャーク:Пожар (1932) 100 ◆
チャルーシン:Вольные птицы (1931) 100 ◆
マルシャーク+レベジェフ:Сказка (1953) 200 ◆
チャルーシン:Шутки (1954) 200 ◆
トルストイ+レベジェフ:The Three Bears 200 ◆
エ・ラチョーフ:テブクロ(日本語版/1956) 200 ◆
ビアンキ+チャルーシン:Первая Охата (1954) 200 ◆
『エナジー対話』1, 2, 4, 5, 6, 7. 9, 14 200×8冊
『エナジー対話』11(高橋康也+樺山紘一) 250
『エナジー叢書』健康論序説 200
富岡多恵子:女子供の反乱 300
斎藤隆介:続・職人衆昔ばなし 500
ヨネヤマママコ:砂漠にコスモスは咲かない 150
深沢一夫:学校なんか知るもんか 200
戸村一作:闘いに生きる 300
三留理男(編):大木よね 100
デュードニー:パズルの王様(1) 100
田中・北條・山下:森永ヒ素ミルク中毒事件 200
遠藤周作ほか:愛犬記 300
ヘディン:中央亜細亜探検記 200
Carlo Carrà:Derain (1921) 200
Brillant:Maurice Denis (1929) 300
ファウルズ:魔術師(1) 300
モーガン:泉 200
フリッシュ:アテネに死す 200
プルウスト:スワン家の方(1)(三笠書房、1937) 100
ルナアル:ルナアル日記(1) 300
デュアメル:希望号の人々 100
ドーデー:アルルの女 ほか(選集2) 200
デュアメル:サラヴァンの生活の冒険(1) 100
ラーゲルレーヴ:沼の家の娘 200
サルトル:水いらず・壁(1946) 100
エイメ:緑の牝馬 100
モンテルラン:欲望の泉のほとり 300
ジロドゥ:シュザンヌと太平洋 300
ケストネル:ファビアン(旧版) 200
ネイサン:川をくだる旅 200
ヴォイニッチ:うま蜂 200
クラーク:宇宙のオデッセイ2001 100
ブラッグ:音の世界 100
朝永振一郎:科学と科学者 300
グリモー:ラヴォアジエ伝 200
ドゥ・ブロイ:新物理学と量子 200
インフェルト:物質の神秘 200
寺田寅彦:天災と国防(岩波新書) 100
カーソン:生と死の妙薬 200
山田宗睦:ろくろの唄 250
Hamlet(パンフレット) 200
ふう、くたびれた。書き写していて我ながら呆れ果ててしまう。一時に百十四冊もまとめ買いしている。ちょうど叔父と古本屋を開業する話が持ち上がっていたので、蒐書に必死だったのだろう。とても尋常な買い方ではない。児童書と海外文学を中心に、安価な古書を手当たり次第に拾い上げた趣だ。
いずれ売るための蒐書だから、ほとんどを手放してしまい、現在も手元に残るのは『ライオンと魔女』の別訳で、今や稀覯本となったC・S・ルイス『魔女とライオンと子どもたち』(前田三恵子訳、あかね書房)など、ほんの数冊にすぎない。
そのなかにロシア絵本が七冊たまたま含まれていた。いずれも「安芸書房」の出品である。中央線のどこで店を構えていたのやら、訪れたことは一度もなく、さすがに今は廃業してしまったようだ。
その日、せっせと買い漁った小生は、上のインタヴューでも答えたように、「どうにも野暮ったくて印刷も悪いなと思った」ものの、なにしろ安価だったから、深く考えず七冊を買物籠に放り込んだ。それがわが運命を変える重大な契機になろうとはつゆ思いもせずに。
インタヴューでは「とにかく1冊100円で安いから」と述べているが、正確には一冊百円のと二百円のと、値付けは二種類あった。ただし戦前の二冊、『火事 Пожар』(1932)と『自由な鳥たち Вольные птицы』(1931)はいずれも百円だった。
⇒これら一向に懲りない小生は、三日後の天皇誕生日にも中野の古本市を再訪した。祝日にはきっと、棚や平台のあちこちで本が追加されると考えたのだ。この勤勉ぶりは若さの証だろう。なにしろまだ二十七歳だったのだ。その日の記録を見よう。
4月29日(祝) (中野)
リンクレーター:緑の海の海賊たち 200
Kästner+Lemke:Don Quichotte 500
ホフマン(絵):ポーランドのむかしばなし 200
ブラトフ:Теремок (1957) 200 ◆
ビアンキ+チャルーシン:Мишка-Башка (1953) 200×2冊 ◆◆
ブラトフ:Гуси-Лебеди (1954) 200 ◆
ゴーリキイ+チャルーシン:Воробьишко (1956) 200 ◆
Edward:Our Cattle (Puffin, 1948) 200
『ひかりのくに』 150
武井武雄:みつばちのくに(『キンダ―ブック』) 450
ペール・カストール画帖:Cachés dans la forêt (1957) 200
ネムツォヴァ:おばあさん(旧版) 100
ヴェルヌ:地底の冒険 100
ゴダール《ウイークエンド》(ATGパンフ) 300
ブールデル:ロダン 300
オオドゥ:街から風車場へ 200
ミュッセ:世紀児の告白 200
ラーゲルレーヴ:地主の家の物語 100
プラトリーニ:現代の英雄 300
シュニッツレル:輪舞 100
さすがにもう買い足すものは少なかった。めぼしい品は売れてしまい、追加アイテムも期待したほど並ばなかったのだ。
児童書と翻訳文学を中心に二十冊余。そのなかにロシア絵本が四点(ダブりも数えれば五冊)含まれていた。前回と同様どれも「安芸書房」の出品。ただし、今回はみすぼらしい戦後の絵本ばかりだ。それでも拾い上げたので、前回分と併せれば十一点(十二冊)になる。
忘れずに付言しておくと、同じ「安芸書房」の平台には、戦後すぐに英国で出た石版刷りの知識絵本シリーズ「パフィン・ピクチャー・ブック Puffin Picture Books」も無造作に置かれていたので、ついでにそれらも拾い上げた(二日分併せて四冊)。
これらが戦前のロシア絵本の強い感化を受けて制作・刊行されたという歴史的事実なぞ、当時の小生は全く知る由もなかったのだが。
さらにもうひとつ、4月26日の購入書目に寺田寅彦の随筆集『天災と國防』(岩波新書 赤版、1938)が含まれていたのも、今にして思えば不思議な暗合である。なぜなら、この本には「火事教育」というエッセイが再録されており、そこに寺田が1933年に銀座の即売会で偶然ロシア絵本『火事』を買い求め、熟読のうえ大絶賛するに至る顛末が生き生きと記されているからである。
同じ26日、小生はほかならぬそのロシア絵本『火事』の現物を、それと知らずに古本の山のなかから発掘していたのだから、偶然にもほどがあると言いたくなる。
これらすべての出来事の連鎖は、寄ってたかって小生を戦前のロシア絵本へと誘っているかのようだ。運命の導きとは、こういうものなのだろう。