今日のロシア絵本はお馴染みの一冊であるかもしれない。
サムイル・マルシャーク(詩)
ウラジーミル・レーベジェフ(絵)
しましまのおひげちゃん Усатый полосатый
1935年(第三版)
なんだ、この絵本なら知っている、とおっしゃる方もおられよう。2004~05年に催された「幻のロシア絵本」展をご覧になったなら、きっとご記憶の一冊だろう。あまたあるマルシャーク&レーベジェフの共作絵本のなかでも、とりわけ瀟洒な味わいをたたえた、洗練された逸品なのだ。
この素敵な絵本の魅力をじかに味わってもらおうと、展覧会では忠実な覆刻版を制作したほどである(淡交社刊)。
そのときの覆刻絵本に封入された短い解説文を引いておこう。大急ぎで書いたものだから、読み返すと冷や汗ものなのだが。
4歳の女の子とその飼い猫とのほほえましいエピソードを綴った絵本。子猫はちょっとおばかさん、寝相は悪いし、しゃべることもできない。でも時が経ち、猫はすっかり賢くなり、女の子も今では小学1年生、勉強を始めるときが来た・・・。少女が猫に言葉を教えようとしたり、散歩に連れ出す場面など、マルシャークの語り口はユーモアと愛情にあふれており、レーベジェフの絵も『サーカス』や『昨日と今日』とは打って変わって、のびのびとした淡彩スケッチふう。しゃれた都会的センスがきらめく、春風のように爽やかな一冊。
このときの覆刻版は、芦屋に残る吉原治良の旧蔵絵本を底本にした。保存状態がとても良かったし、戦前から日本にあったという歴史的な重要性ももちろん顧慮した。
ところで1999年にパリの挿絵本フェアで手に入れた『しましまのおひげちゃん』も、元の持ち主がわかるのだそうだ。出品した古書店主セルジュ・プランテュルーの言によれば、これはパリで活躍した絵本作家ナタリー・パラン遺愛の一冊なのだという。
ナタリー・パラン Nathalie Parain(1897~1958)はロシア(ウクライナ)出身で、本名をナターリヤ・チェルパーノワ(Наталья Челпанова)といい、革命後のモスクワの教育機関「ヴフテマス」で学び、ロシア構成主義やスプレマチズムの影響を受けた。1926年に在モスクワのフランス大使館の文化担当官だった文筆家ブリース・パランと結婚、28年からはパリに移住し、上述の「ペール・カストール」の絵本や、マルセル・エーメの絵物語シリーズで名声を確立。同時代のロシア絵本に近い抽象化された描写にフランス風の洗練を加味した彼女のスタイルは、ロシアとフランス、ふたつの国の絵本をじかに繋ぐものといえよう。
ナタリー・パランの業績についてはここでは詳述しないでおくが、パリに拠点を移してからも彼女が故国と連絡を絶やさず、モスクワやレニングラードの同僚たちの仕事から目を離さなかった事実だけは指摘しておきたい。
彼女の遺品のなかに、1920~30年代のロシア絵本が数多く含まれていたのは、その何よりの証だろう。それらの大半はパリの児童図書館「ビブリオテク・ルール・ジョワイユーズ(「楽しい時」図書館)」の所蔵となり、1997年のロシア絵本展「ロシア・ソ連の児童絵本 1917~1945」(パリ、フォルネー図書館)にも数十点が展示され、パリとモスクワ、レニングラードの絵本運動が地続きだったことを如実に示していた。
パランの遺品の整理にあたったのが、古書店主でこの展覧会のキュレーターも務めたセルジュ・プランテュルーだったわけだが、その際にごく少数(おそらくダブリ本)が彼の手元に残り、それが売りに出たということだろう。この『しましまのおひげちゃん』はそうした一冊だったわけだ。
その表紙の図柄をよくよく観察すると、吉原治良の旧蔵絵本(1931年の第二版 【右】のもの)と細部がわずかに異なることが判明する。主人公の少女が両足に黒い靴を履いているのだ。本の中身も、いくつかのページで描き直しが認められる。
これはパラン旧蔵本が1935年に出た第三版であることに起因する。レーベジェフは版を改めるごとに、この絵本の描写を少しずつ変更して、完成度を高めようとしていたのだ。上述したパリの展覧会には、やはりパラン旧蔵の『しましまのおひげちゃん』が出品されていたが、そちらは1930年刊の初版本であり、その絵柄は(第二版、第三版とも)大きく異なっていた。ちなみに、かつて「岩波の子どもの本」の一冊として出た邦訳版『こねこのおひげちゃん』(うちだりさこ訳、1978
⇒これ)は、この初版に基づいていた。