リアルタイムでロシア絵本を手にした日本人には共通点がある。
柳瀬正夢(1900生)、松山文雄(1902生)、安泰(1903生)、原弘(1903生)、光吉夏弥(1904生)、吉原治良(1905生)。見事なまでに同世代の人たちなのだ。
それにはもちろん理由があり、神田神保町に日本初のロシア書籍の専門店「ナウカ社」が創業し、店頭に数多くのロシア絵本を並べた1932年の時点で、彼ら全員が三十歳前後だった。若者らしく柔軟で瑞々しい感受性をまだ失わず、それなりに経験を積んで、絵本の良し悪しを判断できる分別盛りだったのである。
だからこそ、初めて目にしたロシア絵本の斬新な表現に目を瞠り、素直に受け止めることができたのだろう。二十歳ではまだ若すぎるし、四十歳ではもはや感化されなかったはずだ。
それは1935年頃のことだったろうか。その頃ソヴィエトの出版物は、紙も粗末だったし、印刷も幼稚なものだったが、そのような紙質や印刷技術を実に巧みに生かした絵本が、どっと輸入されたことがあった。
それは、私たちが考えていた、絵本というものの考え方をはるかにこえた、すばらしい魅力のあるものだった。紙質と印刷技術は、イラストレーションとふしぎな調和をしていたし、それに、それらは実に新鮮なタイポグラフィと、編集構成をもって作られていた。[中略]私は夢中になって、40冊ほどを買い求めた。
(「デザイナーの絵本」『グラフィック デザイン』1号、1959)
空襲で亡くなった柳瀬正夢を例外として、これらの人々はみな戦時下をどうにか生き延び、戦後それぞれの分野で大きな仕事を成し遂げた。そして、1970年代から80年代にかけて、一人また一人と世を去っていった。同世代の者たちだから当然である。
彼らが長く手元に置いていたロシア絵本は、官憲から押収された安泰の場合を除いては、幸いにも散逸を免れ、まとまった形で後世に遺された。「幻のロシア絵本」展で、吉原・原・柳瀬の三人の旧蔵コレクションの全冊が一堂に会したのは壮観だった。
小生の手元には、近年に入手した松山文雄の旧蔵絵本(戦前分は三十二冊)のほか、十数年前にまとめて購入した二十六冊のロシア絵本がある。どれも保存状態は完好で、しかも選書のセンスが素晴らしく、粒揃いの内容なのだ。セレクションの秀逸さで、原弘の旧蔵絵本にも負けていない。どの絵本の表紙にも同じ四角い印章が捺されており、(おそらく1900年代に生まれた)よほどの目利きが1930年代に蒐集したと想像されるのだが、その印影がどうしても判読できない。今のところ、逸名氏のコレクションとしか呼べないのが残念である。
そんな次第だから、今日は来歴も旧蔵者名も判っている一冊を紹介しよう。これは「幻のロシア絵本」展にも出品した。
サムイル・マルシャーク(文)
ウラジーミル・レーベジェフ(絵)
外国人ペトルーシュカ Петрушка иностранец
1935年(第五版)
ロシアの伝統的な人形劇の主人公である悪戯者の少年ペトルーシュカを主役として、マルシャークが新たに書き下ろした子供のための人形芝居。本文は台本形式で書かれ、そのまま人形劇として上演できる。初版は1927年で、このときはウラジーミル・コナシェーヴィチの挿絵付きだったらしい。
この絵本は1990年代末頃、本郷の古書店で買い求めたものだが、表紙の周囲が褐色に変色していて、保存状態は芳しくない。店主の話によれば、大切にパラフィン紙に包まれていたのがかえって災いし、パラフィンと密着した部分が酸化作用で紙焼けしたのだという。
人形劇関連の書籍・資料とともに一括して市場に売りに出たなかの一冊で、同じ山に含まれた全冊を点検したところ、これらは人形劇研究家の松葉重庸(まつばしげつね/1905生、歿年不明)の旧蔵書とみて間違いないという。
松葉は学生時代から帝大セツルメントで貧しい子供たちと接触をもち、1930年代に「保育問題研究会」に加わって人形劇を実践したのち、菅忠道とともに「移動人形劇場」を結成、大政翼賛会宣伝部人形劇委員会の委員も務めた。大戦時の戦争協力を咎められたが、戦後も人形劇研究の第一人者としての面目を保った。歿年は詳らかでないが、1994年で著作刊行が途絶えているので、ほどなく亡くなり、旧蔵書が売りに出たのだろう。
そういう人形劇の研究・実践者の手元に、人形劇を題材とするマルシャーク&レーベジェフの絵本が遺されていたのは一向に不思議でないが、重要なのはその入手経路である。
この絵本の表紙裏の隅には「ナウカ社」のシールが半ば剥がれた形で辛うじて残存し、これが神田神保町にあった直営書店の店頭で、あるいは何かの機会での出張販売で、買い求められたことを証している。
ナウカ社は1932年春の創業ほどなく、ロシア絵本の販売を始めたことがわかっているが、1936年に関係者の逮捕により閉店に追い込まれるまで、絵本を常備し続けたのか、新刊の追加はあったのか、など不明な点が多い(戦前のナウカ社関連の原資料はほぼ滅失した)。
この『外国人ペトルーシュカ』1935年版にナウカ社のシールが貼付されている事実は、同社が少なくともこの年まで絵本の輸入と販売を続けていた動かぬ証拠となろう。ちなみに、この絵本の同じ1935年版は吉原治良の旧蔵絵本のなかにもあり、それもナウカ社経由で入手されたものであることを強く示唆する。