関西の美術界を主導した前衛画家で、「具体美術協会」を率いて世界的な反響を呼んだ吉原治良(1905~1972)。その旧蔵書から、戦前のロシア絵本が八十七冊も見つかったのが事の始まりだった。遺品の整理にあたった芦屋市立美術・博物館の河﨑晃一さんからそう聞かされたとき、その意外さに思わずわが耳を疑ったものだ。
この発見が端緒となって「幻のロシア絵本 1920–30年代」展が企画され、戦前の吉原とロシア絵本との不思議な因縁がほぼ明らかになった。それと並行して、デザイナーの原弘(1903~1986)や画家の柳瀬正夢(1900~1945)の遺品中にも少なからぬロシア絵本が含まれていることもわかり、1930年代にわが国の美術家の間で、同時代のソ連絵本への関心が共有されていた事実が判明した。
これこそが展覧会がもたらした最大の収穫だった。もちろん、北海道から九州まで全国五美術館を巡回して、行く先々で熱心な鑑賞者と出逢えた企画者の歓びを抜きにして、であるが。
展覧会が終了してもう十五年になる。今や戦前のロシア絵本の卓越ぶりは常識となり、その古書価格は世界中で鰻のぼり。もはや貧書生の手に届かぬ高嶺の花となり果てた。そうなったのも当然である。美術館で展覧会を催すほど価値の高い「お宝」だと世間に向けて喧伝してしまったのだから。身から出た錆とはこのことだ。
したがって、海外の古書店からロシア絵本を大人買いするような蛮勇を振うことはなくなった。もう手元に三百冊も集まったから、あるいは隠居の身で手元不如意だからという事情もあるが、闇雲に何もかも買い集めるのでなく、もっと明確な蒐書方針のもとに、地に足の着いたコレクションにしたいと願ったからである。
端的に言うならば、「戦前から日本にあって」「旧蔵者の名が確かめられる」ロシア絵本のみを集めようと心に誓ったのだ。
そう密かに決めてから十数年になるが、その間に入手したロシア絵本のうち最も歴史的に価値が高く、また量的に最もまとまっているのが松山文雄(1902~1982)の旧蔵コレクションである。二軒の古書店から購入したそれらのロシア絵本の内訳はこうだ。
松山文雄は戦前のプロレタリア美術の泰斗であり、漫画家として童画家として、また宮本百合子や壺井榮らの著作の装幀家として、おびただしい仕事を残している。戦後も長く日本共産党と密接な関係をもち、言葉は悪いが御用画家と呼びたくなるほどの存在だった。
松山は1927年に日本プロレタリア芸術連盟の美術部員となり、反戦ビラを街頭に掲出した廉で検挙された。31年には『ハンセンエホン 誰のために』を刊行するが、直ちに発禁処分を受けている。
1932年2月には安泰(やすたい)、前島とも、安井小弥太、福田新生らとともに「新ニッポン童画会」を結成、「今日の児童の現実と常に密着」し「生々とした、活動力に富んだ」童画の創出を標榜するが、牽引役だった松山は同年6月に治安維持法違反で検挙・投獄され、二年八か月も獄中にあった。
ざっとそういう経歴の持ち主だったから、松山が同時代のソ連における児童文化に強い関心と憧憬を抱き、ロシア絵本を数多く手元に置いていたのは不思議でもなんでもないが、官憲による家宅捜索や第二次大戦の戦火を辛くも潜り抜け、戦前の絵本が長く秘蔵されてきた事実には、やはり強く胸を打つものがある。命がけのコレクションと呼ぶべきものだろうから。
ところで今日お目にかけるのは、本郷三丁目の古書店から松山文雄旧蔵の戦前のロシア絵本をまとめて購入した際、「市場に出た同じ山のなかに、こんな切れ端が含まれていたので、これは進呈します」と、おまけで頂戴した絵本の断片(中身がなく表紙のみ)である。
レフ・ユージン&ヴェーラ・エルモラーエワ(絵)
Лев Юдин и Вера Ермолаева
紙で、糊なしで Из бумаги без клея
1931年
この絵本なら知っている。原弘旧蔵ロシア絵本三十九冊のなかに含まれていたからだ。文字のない工作絵本で、図柄を指示どおり鋏で切り抜いて折り曲げると、手作りおもちゃの出来上がり――身近な素材から物作りを教える絵本である。
作者のユージンとエルモラーエワは、かつてヴィテプスクでカジミール・マレーヴィチとともにスプレマチズムを推進したアヴァンギャルド芸術家。その先鋭的な画家たちが手を携えて、かくも遊び心に満ちた愉しい絵本を生み出すあたりが、1930年代のロシア絵本の鉱脈の豊かさを象徴的に示している。
察するに、この絵本の中身はおそらく実際に鋏で切り抜かれてしまい、跡形なく消滅したと想像される。それでも、魅力的な表紙だけは捨てられずに残されたのだろう。
購入した松山旧蔵ロシア絵本のすべての表紙には「松山」の認印が捺されていて、旧蔵者が誰かを物語るのだが、この一冊に限りそれがない。その代わり、表紙の上部の白地部分、数字「25」のゴム印が捺されたすぐ上に、TAI と読めるペン描きのレタリング文字がある。これが旧蔵者を知るための手がかりとなる。
察するに、この "TAI" は戦前「新ニッポン童画会」のメンバーだった安泰(やすたい/1903~1979)が記入したものに違いない(同様のサインが戦前の彼の挿絵にある)。彼もまた、松山とともに1930年代にロシア絵本への熱中を共有した同志だったのである。
1940(昭和十五)年、安泰は治安維持法違反で投獄されるが、その逮捕容疑はロシア絵本を所持していたためといい、家宅捜索により彼の手元にあった絵本はすべて当局から没収された由。
もし小生のこの観察が正しければ、この表紙は安泰がかつて愛蔵したロシア絵本のうち、これだけ奇蹟的に没収を免れて現存する一冊ということになろう。そう考えると、たとえ不完全な断片とはいえ、値千金に思えてくる。
それがなぜ安泰の手元を離れ、松山文雄のロシア絵本に紛れて見つかったのか。こればかりは解けない謎としておくほかなさそうだ。