2004年に「幻のロシア絵本」展のため、八方手を尽くして同時代資料を探索していて、最も驚かされたのは、稀代の物理学者にして博雅なエッセイスト寺田寅彦(1878~1935)が一冊のロシア絵本を絶賛していた事実である。
事の発端は、1933(昭和八)年1月20日から24日まで、銀座の文具店「伊東屋」で開催された「ソヴェート印刷文化展」だった。
催しを企画したデザイナーの高橋錦吉の回想によれば、やがて映画監督となる亀山文夫がソ連から持ち帰った豪華画集を軸に、ソ連のポスター・絵本・書籍・民芸品などをギャラリーに展示したものだった。ロシア絵本については「ナウカ社の社長大竹博吉氏の協力を得て」並べた由。わずか五日間のささやかなイヴェントながら、「これは意外な反響を呼んで連日満員の盛況であった」。
いささか雑多な内容だったと想像される展示品のなかで、ロシア絵本はどのように扱われていたのだろうか。目を留めた観客ははたして存在したのか。
この疑問に対して、全く思いもよらぬ方角から解答が投げかけられている。寺田寅彦が「火事教育」と題する随筆のなかで、一か月前(1932年12月)に起こったばかりの東京・日本橋の白木屋火災(逃げ遅れた女子従業員十四名が死亡)に触れ、わが国における防災教育の立ち遅れを指摘したあと、彼はなんとも興味深い証言を残している。長くなるが以下に引用する。
[前略]話は變るが先日銀座伊東屋の六階に開催されたソビエトロシア印刷藝術展覧會といふのを覗いて見た。彼國の有名な畫廊にある名畫の複製や、アラビアンナイトとデカメロンの豪華版や、愛書家の涎を流しさうな、藝術の爲の藝術と思はれる書物が並んで居て、これには一寸意外な感じもした。其外に中々美しい人形や小函なども陳列してあつたが、一番自分の注意を惹いたのは兒童敎育の爲に編纂された各種の安直な繪本であった。殘念ながら我邦の書店やデパート書籍部に並んで居るあの職人仕立ての兒童用繪本などとは到底比較にも何もならない程藝術味の豐富なデザインを示したものが色々あつて、子供ばかりか寧ろ大人の好事家を喜ばすに十分なものが多數にあつた。其中に「火事【パジアール】」という見出しで、表紙も入れてたつた十二頁の本が見付かつたので此れは面白いと思つて試みに買つて來た。繪も中々面白いが繪とちやんぽんに印刷されたテキストが、吾々が讀んでさへ非常に口調のいゝと思はれる韻文になつて居て、恐らく、ロシアの子供なら、ひとりでに歌はないでは居られなくなるであらうと思はれるものである。簡單に内容を紹介すると、先づ其の第一頁は、消防署で日夜火の手を見張つてゐる樣子を唄つてある。第二頁はお母さんの留守に幼少な娘のリエナが禁を犯してペチカの蓋を明け、はね出した火がそれからそれと燃え移つて火事になる光景、第三頁は近所が騷出し、家財を持出す場面、流石にサモワールを持出すのを忘れて居ない。第四頁は消防隊の繰出す威勢のいゝシーン。次は消防作業でポンプは迸り消防夫は屋根に上がる。をかしいのはポンプが手押しの小さなものである。次は二人の消防夫が屋根から墜落。勇敢なクジマ、今迄に四十人の生命を助け十回も屋根からころがり落ちた札付きのクジマのおやぢが屋根裏の窓から一匹の可愛い三毛の子猫を助出す。其次はクジマがポケットへ子猫をねぢ込んだまゝで、今にも燒け落ちんばかりの屋根の上の奮闘。子猫がかくしから首と前脚を出して見物して居るのが愉快である。その次は火事の方がたうとう降參して「御免下さい、クジマさん」とあやまる。クジマが「今後はペチカとラムプと蠟燭以外に飛出してはいけないぞ」と命令する場面で、ページの下半にはラムプと蠟燭のクローズアップ。次の頁にはリエナが戸外のベンチで泣いて居る處へクジマが子猫の襟頸をつかんで頭上高くさし上げながらやつて來る。「坊や。泣くんぢやないよ。お家は新しく建ててやる。子猫も無事だよ。そら、可愛がつておやり」といふ一篇のクライマックスがあつて、さて最後には消防隊が引上げる光景。クジマの顔には火傷、額には血、目の緣は黑くなつて、さうして平氣で揚々と引上げて行くところで「おしまひ」である。
事実は小説より奇なりというが、物理学者とロシア絵本という取り合わせの妙に意表を突かれる思いがした。寺田寅彦はロシア語をかなり解したらしく、マルシャークの詩文の音楽的な美しさをよく感得しており、コナシェーヴィチの挿絵の細部の工夫も見逃がさずに観察し、絵本としての面白さを味わい尽くしている。寺田が『火事』を一篇の視覚的ドラマとして、そのコンティニュイティを総合的に把握できたのは、彼が日頃から映画をこよなく愛し、秀逸な映画批評をいくつも書いている事実と無関係ではないだろう。
寺田はこれでもまだ説明が尽くせないとばかりに、さらに称賛の言葉を書き連ねている。
紙芝居にしても惡くはなささうである。それは兔に角、此れだけの、小さな小さな「火事敎育」でも、此れだけの程度にでもちやんとしたものが我邦の本屋の店頭にあるかどうか、もし見付かつた方があつたらどうか御面倒でも一寸御知らせを願ひたい。
序ながら見本として此繪本の第一頁の文句だけを紹介する。發音は自己流でいゝ加減のものであるが,凡その體裁だけは分かるであらう。
フ、プロースチャデイ、バザールノイ
ナ、カランチェー、パジャールノイ
クルーグルイ、スートキ
ダゾールヌイ、ウ、ブードキ
スマトリート、ワクルーグ
ナ、シェビェール
ナ、ユーグ
ナ、ザーパド
ナ、ウォストク
ニェ、ウィディエイ、リ、ドゥイモーク、
右の譯。此れもいゝ加減である。
市場の辻の
消防屯所
夜でも晝でも
火の見で見張り
ぐるぐる見廻はる
北は……
南は……
西は……
東は……
何處【どつか】に烟はさて見えないか。
我邦の敎育家、畫家詩人並びに出版業者が、兔も角もこの粗末な繪本を參考の爲に一見して、さうして我邦兒童の爲に、ほんの些細の勞力を貢獻して、若干の火事敎育の繪本を提供されることを切望する次第である。さうすれば此の赤露の繪本などよりは數等優れた、もつと科學的に有效適切で、もつと藝術的にも立派なものが出來るであらうと思はれる。さういふ仕事は決して一流の藝術家を恥かしめるものではあるまいと信ずるのである。科學國の文化への貢獻といふ立場から見れば、寧ろ、此方が帝展で金牌を貰ふよりも、もつともつと遙に重大な使命であるかも知れないのである。(昭和八・一)
(「火事敎育」吉村冬彦『蒸發皿』所収、岩波書店、昭和八年)
ロシア絵本の全盛期に、わが国でも時をおかず、これほどの具眼の士がその一冊を手にして、かくも秀逸な批評を残していたのである。
小生はこの発見を誰かに伝えたくて、早速わが国におけるロシア絵本研究の先達である児童書研究家の島多代さんにご報告した。岩波文庫版『寺田寅彦随筆集』を持参し、「火事教育」の内容をお伝えすると、彼女もまたその意外さに目を丸くされるとともに、いかにも感に堪えないという表情で、「やっぱりソヴィエト絵本の良さは、わかる人にはわかったのね」と呟いた。
そして少しして、こう言葉を続けた。「でも寺田寅彦だったら当然という気がする。彼は『とんびと油揚』のような、子供にも愉しめる優れた科学エッセイを書いた人だもの、あの絵本の面白さを存分に味わうことができたに違いないわ」と。