今日は上京してひさびさに映画を観た。といっても通常の封切作品ではなく、芝居のライヴ・ヴューイング。ロンドンでの上演をまるごと収録したNTLive(ナショナル・シアター・ライブ)の最新作が今日から始まったのだ。家人を誘って映画館に赴くのは半年ぶり。電車を乗り継いで上映館のある池袋まで赴いたのだが、感染症の心配もあって、往還の車中でも周囲が気になってならない。
プレゼント・ラフター Present Laughter
作/ノエル・カワード
演出/マシュー・ウォーチャス
出演/
アンドルー・スコット (ギャリー・エッセンダイン)
インディラ・ヴァーマ (リズ・エッセンダイン)
ソフィー・トンプソン (モニカ・リード)
スージー・トーズ (ヘレン・リピアット)
エンツォ・シレンティ (ジョー・リピアット)
アブドゥル・サリス (モリス・ディクソン)
ダフニ・スティリントン (キティ・アーチャー)ほか
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劇場/ロンドン、オールド・ヴィック座
収録日/2019年11月28日
上演時間/全三幕/約180 分(休憩含む)
上映館/シネ・リーブル池袋
上映時間/午後3時35分~
【口上】
中年の危機に陥ったスター俳優ギャリーを主人公にした、ノエル・カワードの傑作コメディ。1942年の初演時、カワード自らが演じ好評を博したギャリー役に、人気ドラマ《SHERLOCK(シャーロック)》のジム・モリアーティ役でおなじみのアンドリュー・スコットが挑む。喜劇を得意とする演出家マシュー・ウォーチャスの手腕にも注目! スター俳優ギャリー・エッセンダインが海外ツアーに出かける準備をしていたところ、個性的な面々の訪問を受け、彼の生活はハチャメチャに――。現代の名声・欲望・孤独を見事に投影した作品に仕上がっている。
上の口上ではどんな芝居なのか、さっぱり要領を得ないだろうが、これは高名な舞台俳優を中心に、その周囲に群がる妻、秘書、マネージャー、プロデューサー、従者、家政婦、熱烈なファンなどが入り乱れ、痴話喧嘩とも錯綜した心理ドラマともつかぬ、おかしな人間模様を繰り広げる。初演時(1942年、ブラックプール、グランド・シアター/1943年、ロンドン、ヘイマーケット座)では主役をカワード自身が演じたから、観客たちは純然たるフィクションと知りつつも、演劇人たちの日常生活ーーその隠された奇妙な生態を覗き見るような、虚実の境界を探るような興味をかき立てられたに違いない。
この芝居には懐かしい、というか、ほろ苦い観劇体験が過去にある。友人に強く誘われて初訪英した1993年12月、西も東も皆目わからぬロンドンで、生まれて初めて英語のストレート・プレイを観た。それがこの "Present Laughter" だったのである。
もちろん字幕などありはしない。それまでノエル・カワードの芝居は東京で何本か観ていたので、挑戦するつもりで原語上演に足を運んだのである。とはいえ、旅に出る前に事前の準備は怠らなかった。手元の参考書で芝居の梗概を調べ、戯曲集で途中まで(全三幕のうち二幕まで)台本をざっと読んでおいた。
シャフツベリー通りの由緒正しいグローブ座(現・ギールグッド座)での観劇は緊張しっぱなし。アウェイ感の極みである。もちろん周囲は英国人ばかり。舞台上の会話に素早く反応して、ゲラゲラと声高な哄笑、苦笑、失笑、爆笑の連続だ。小生はといえば、どうにか筋を追うのがやっとで、マシンガンのように発せられる台詞の応酬にはとてもついていけない。
なにより悲しかったのは、わざと予習せずにおいた第三幕に入った途端、何が何だか展開がさっぱり追えなくなり、急転直下の大団円も、どこでどう結末がついたのか、全く判然とせぬまま幕となった。爾来《プレゼント・ラフター》は、わがトラウマとなって今日に至る。
そんな次第だから、あれから二十七年を経て、ようやく字幕付きでこの芝居を味わうことができて感慨また一入である。もちろん今回は台詞の隅々まで理解できましたとも! こんな展開で、こんな終わり方だったのか、つぶさに知ることを得た。隣で観ていた家人はいざ知らず、これはわがリヴェンジ体験なのである。
とはいえ、今回の演出は舞台を1930年代から1960(?)年代に移行させたうえ、一部の登場人物の性別を入れ替えて、主人公がホモセクシュアルの性向の人物であると強調した。これこそ余計な浅知恵というべきで、そんな必要がどこにあろうか。
おまけに主人公をはじめ登場人物が常に大声を張り上げ、大袈裟に動き回り、舞台が終始ざわざわ騒がしいのも感心しない。カワード劇の神髄はあくまで台詞の応酬にあるのだから、せわしないスラップスティックな動作は目障りなだけーーそう思ってしまうのは、こちらが昔ながらの旧弊なカワード観に捉われているからか。
さまざまなカワードの舞台を見比べられるロンドンはいざ知らず、極東の島国の私たちは、まずオーソドックスな演出で、台詞劇の妙味をじっくり味わいたい。そう老書生は強く希った次第である。