何事にも一流好みの彼女は、アンドレ・ジードを説き伏せ、この公演のためにシェイクスピアの芝居をフランス語訳させた。クレオパトラ役は言うまでもなく彼女自身。相手役のアントニーには名優エドゥアール・ド・マックスに登場を仰いだ。
それだけでも劃期的なのだが、ルビンシュテインは実力ある作曲家を登用して大がかりな音楽劇に仕上げる構想を打ち出した。さもなくばオペラ座でわざわざ上演する意味がなかろう。
ここでルビンシュテインがフローラン・シュミットの起用を思いついたのは、前年の1919年に彼女がオペラ座で《サロメの悲劇》再演で主役を踊ったことと無関係ではあり得ないだろう。かねてから彼のエキゾティックな劇音楽における才能に着目していて、この際とばかり白羽の矢を立てて説き伏せた・・・という流れだろう。
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今わが手元にある四種の音源は、このときの劇音楽そのものではなく、公演後にシュミット自身が演奏会用に編み直した二種類の演奏会用組曲である。すなわち、《シェイクスピア劇に基づき二つの組曲に編まれた六つの交響的エピソード Six épisodes symphoniques en deux suites d'après le drame de Shakespeare》と称する。
第一組曲:
1. アントニーとクレオパトラ (前奏曲もしくは第一幕第一場)
2. ポンペイウスの野営地 (第二幕第六場)
3. アクティウムの戦い (第三幕第七~九場)
第二組曲:
4. 女王の宮殿の夜 (第四幕第十三場)
5. 酒池肉林の宴と舞踊
6. クレオパトラの墓 (第四幕第十五場/第五幕第二場)
試みにこのCDを選んで聴いてみよう。幸いYouTubeにも全曲がある。
"Florent Schmitt: Antoine et Cléopâtre"
フローラン・シュミット:
《アントニーとクレオパトラ》第一組曲・第二組曲 作品69a, 69b(1920)
《幽霊屋敷》ポーの物語に基づく交響的習作 作品49(1904)
ジョアン・ファレッタ指揮
バッファロー・フィルハーモニー管弦楽団
2015年3月5日、9日、バッファロー(ニューヨーク州)、クラインハンス楽堂
Naxos 8.573521 (2015)
《アントニーとクレオパトラ》⇒
https://www.youtube.com/watch?v=FiR5M_t3CLc
CD初期の1980年代に秘曲専門の指揮者セゲルスタムが録音したきり、永らく唯一無二の音源だった《アントニーとクレオパトラ》が、今や四種類のディスクを聴き比べできる。まさに隔世の感がある。
公平に言って、絢爛豪奢な管弦楽法の魅力という点ではメルシエ指揮盤、オーケストラの力量という点ではオラモ盤に、それぞれ一日の長が認められるが、このファレッタ指揮盤にも捨てがたい味わいがある。各曲の特質を巧みに捉えた、聴かせ上手の演奏といったらいいか。
二つの組曲はおおむね戯曲の進行をたどるが、どの音楽がどこの場面(もしくは幕間)で用いられたのかは詳らかでない。シェイクスピアの原作は無暗に長大で、場面数もやたらと多い(第三幕には十三、第四幕には十五もある)。ジードの翻訳による1920年の上演には全幕で六時間(!)を要したというから、所要時間五十分の組曲版は願ってもない福音といえるだろう。
各曲に付された標題からもわかるが、第一組曲では古代ローマ軍とその戦場が、第二組曲が古代エジプトの首都アレクサンドリアが舞台となる。
フローラン・シュミットはどの場面にも絢爛豪奢で壮麗豊穣な音楽を提供しており、さながら後世のハリウッドの歴史劇を彷彿とさせる。とりわけ第二組曲では、十三年前のバレエ音楽《サロメの悲劇》(1907)の拡大版と呼ぶべき濃厚なオリエンタリズムが全開だ。強烈無比な音楽体験といえよう。
実際の舞台ではさぞかし効果絶大だったろうが、今の耳にはいささか過剰にドラマティックな音楽として響く。この調子で朗々たる科白と大仰な管弦楽が延々と続いたら、辟易して客席に居たたまれなくなるだろう。
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《アントニーとクレオパトラ》がオペラ座で上演された1920年当時、ディアギレフのバレエ・リュスはどんな新作を送り出していたかといえば、ストラヴィンスキー作曲による《夜鶯の歌》(マティス美術)と《プルチネッラ》(ピカソ美術)だった。前年の1919年にはレスピーギ作曲《風変わりな店》(ドラン美術)とデ・ファリャ作曲《三角帽子》(ピカソ美術)、翌1921年にはいよいよプロコフィエフ作曲《道化師》(ラリオーノフ美術)が登場する。時代は大きくモダニズムへと舵を切ろうとしていた。
イダ・ルビンシュテインは大戦前と変わらず昔の夢――オリエンタリズムを追い続けていた。それもひとつの行き方だろうが、この旧態依然たる共同幻想にフローラン・シュミットが加担させられたことを残念に思わないでもない。全盛期の彼がもしバレエ・リュスと組んで新作バレエに挑んでいたなら、どんな斬新な傑作が生まれたことだろう。そんな由無し事をつらつら考えた