今も昔もフローラン・シュミットといえば、バレエ音楽《サロメの悲劇》と鸚鵡返しに答えるのが慣わしである。パッヘルベルといえば《カノン》、フンパーディンクといえば《ヘンゼルとグレーテル》、ホルストといえば《惑星》と応ずるのと同様である。ほかにも作品はあまたあるというのに。
考えてみたら不思議な気がする。カラヤンやバーンスタインやショルティが指揮したわけでもなく、モントゥーもアンセルメもクリュイタンスもブーレーズもデュトワも録音していない。《サロメの悲劇》がそれなりに名作と認知され、人口に膾炙したのは、いつ、誰の演奏を契機としてなのだろうか?
古株の聴き手(ぢいさん、ばあさん)の多くが、ジャン・マルティノン指揮盤(EMI, 1972年録音)の存在を挙げるのではなかろうか。これを聴いてその巧緻な音楽に魅せられた、初めてフローラン・シュミットを知ったのだ、と。
だが臍曲がりな小生は、自分の場合そうではなかったと小声で主張する。そのマルティノン盤に先立って、この曲の魅惑を余すところなく伝えた、知られざる名アルバムが存在した。今日は少しだけその話をしたい。
"La Tragédie de Salomé -- Viviane -- Lénore"
フローラン・シュミット: バレエ音楽《サロメの悲劇》
ショーソン: 交響詩《ヴィヴィアーヌ》
デュパルク: 交響詩《レノール》
アントニオ・デ・アルメイダ指揮
ニュー・フィルハーモニア管弦楽団
1970年、ロンドン
RCA LSC-3151 (1970, LP)
このディスクは1970年9月にすぐさま同じジャケットの日本盤(日本ビクター RCA SRA-2710)が出て、何度かラジオ番組でも流されて、フランスの世紀末音楽の摩訶不思議な妖しい魅惑に惹かれる端緒となった、わが記念すべきLPレコードなのである。
ただし、なにぶんにも田舎の無知蒙昧な高校三年生だったから、まずは上野の東京文化会館の音楽資料室で何度か試聴し、ライナーノーツを持参したノートに書き写した。われながら感心な奴だ。
アルバム邦題「フランス・ロマン派秘曲選」とは言い得て妙。今でこそフローラン・シュミットの代表作となったが、当時は他に録音が出ておらず「秘曲」扱い。バレエ音楽なのに、ここではなぜか交響詩と題されている。
併録されたショーソンとデュパルクの交響詩は、半世紀後の今もほとんど聴く機会がなく、《ヴィヴィアーヌ》も《レノール》も正真正銘「秘曲」のまま。どちらもワーグナーの影響が色濃い頽廃的な逸品なのだが。
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指揮者アントニオ・デ・アルメイダ Antonio de Almeida(1928~1997)はポルトガル系フランスの指揮者。これがわが国でのデビュー盤のはずだが、イタリアの楽団を振ったハイドンの交響曲選集の方が先だったか。
その後、デ・アルメイダは《ユダヤ女》《ミニョン》《ハムレット》《ナヴァラの女》など19世紀フランス歌劇の優れた録音を手がけたほか、オッフェンバックの喜歌劇の研究と実践でも一目おかれるに至る。
ただし、実力に見合ったポストに恵まれないまま、晩年はMarco Poloレーベルにマリピエロやトゥルヌミールやソーゲの交響曲をモスクワの楽団と共に録音する、風変わりで奇特な御仁、という気の毒な扱われ方で一生を終え、今では思い出される機会も稀になった。
そんなわけで、大手RCAから発売された本LPも、ほどなく存在そのものが忘れられてしまったのは、このアルバムで未知の扉を開かれた小生にとって、悔しくも無念な思いが募るばかりだ。
ちなみに、LPジャケットには(米・英・日本盤いずれも)フランス世紀末のギュスターヴ・モローの油彩画《ヘロデ王の前で踊るサロメ》(1874~76頃)の前で、正装してポーズをとる指揮者自身の写真が用いられて、強い印象を醸していた(⇒これ)。この絵を所蔵する米国のアーマンド・ハマー美術館でわざわざ特撮されたところに、本盤の制作サイドの本気度がうかがわれよう。
いずれ音源の権利をもつ Sony から正規の覆刻CDが出ないものかと、首を長くして待っているのだが、そのうち小生の寿命のほうが先に尽きてしまいそうで心配でならない。
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デ・アルメイダ指揮による《サロメの悲劇》がYouTubeで聴ける。実は久しぶりに耳にして、震えるほどの名演なのに驚きを新たにしたところだ。譜面どおり、ちゃんと合唱入りなのも嬉しい。
https://www.youtube.com/watch?v=X04B4Hk5sO4