今月の28日はフランスの大作曲家フローラン・シュミット Florent Schmitt(1870~1958)の生誕百五十周年の記念日にあたる。だから彼の話題はその日まで取って置きたかったところだが、八月末にこんな新譜CDが届いてしまったので、もう黙ってはいられない。
いやはや、いきなり盲点を突かれた気がする。フローラン・シュミットの音楽に親しんでもう半世紀になるのだが、その間に彼の歌曲を聴いたこともなければ、そんな存在に思いを致すこともなかった。彼には見事な合唱を伴う《詩篇 第四十七篇》という声楽作品の傑作があるにもかかわらず。
全くもって迂闊というほかない。だが、それは小生のみの咎ではなさそうだ。なぜならば、今の今まで彼の歌曲は全くと言っていいほど録音されてこなかった。生誕百年を記念する本CDが史上初の「フローラン・シュミット歌曲集」なのだといい、収録作品のほとんどが世界初録音だとか。これでは極東の島国の貧書生が何も知らないのも無理はなかろう。
だから冒頭の《四声のシャンソン》(1905)でもう絶句する。ピアノ連弾に男女四人の歌手が唱和する悦ばしい円舞曲集は、あたかもブラームスがパリに亡命したような趣だ。その書法は練達を極め、もし歌詞がフランス語でなかったら、19世紀末のドイツ音楽と聴き紛うような音楽である。これがかの《サロメの悲劇》のわずか二年前の作だという。ことほど左様に、フローラン・シュミットは正体の捉えがたい作曲家なのだ。
本アルバムは、彼が二十五歳で書いたフォーレを思わせる優雅な《三つのメロディ》(1895)を皮切りに、ドビュッシーの並走者らしく繊細な馨しさを漂わせた《四つのリート》(1912)、大胆な和声と先鋭な書法で新時代を拓く《ケロブ=シャル》(1924)、深い瞑想とともに玄妙な境地に至った《ロンサールの四つの詩》(1942)・・・と時代の異なる歌曲集を並置することで、その長い芸歴とともにフローラン・シュミットがスタイルをさまざまに変貌させ、音楽を深化させるさまを如実に示してみせたものだ(ただし曲の配列はあえて年代を追っていない)。
まだ全体をざっと三度ほど流し聴きしただけで、歌詞をよく咀嚼していないから、軽々には総括できないが、この長命な作曲家が生涯のどの段階にも、歌曲の分野に意欲を注ぎ、目覚ましい成果を残したことは断言できそうだ。
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そんな次第で、個々の歌曲集についての感想は後日また記すことにするが、ひとつだけ気になっている点を書き留めておく。
1924年の歌曲集《ケロブ=シャル》の第一曲「税関 Octroi」の歌詞のことだ。作詞者ルネ・ケルディク René Kerdyk(1885~1945)についても生没年以外は皆目わからないのだが、詩の冒頭にいきなり藤田嗣治の名が出るのだ。
Tout un paysage en lignes blanches,
L'octroi de Paris est un Foujita
Avec un oiseau sur une branche
D'un arbre comme il y en a des tas.
白い線で描き出された一枚の風景、
パリ税関を描いたフジタの絵
一羽の鳥が木の枝にいて、
樹木はほかに何本もある。 (大意)
藤田にはパリ市の税関を描いた風景画が確かにあり(例えば1917年の水彩画《シャティヨンの門》)、詩人はそのどれかを観て描写しているらしい。そのあと詩句は、まだ灯っている街燈や明け方の薄明について描写する。
そんな不思議な詩に、1924年という早い段階でフローラン・シュミットが曲を付けているのはちょっとした驚きである。
フローラン・シュミットはパリで薩摩治郎八とも親交があったというが、藤田嗣治とはどんな間柄だったのだろう?
この歌詞の謎は謎のままにしておくが、もうひとつ、本アルバムで嬉しかったのは、ジャケットに用いられたモノクロの素描である(⇒これ)。
一見したところ抽象的な形象の連なりにしか見えないが、実を言えばこの絵、フローラン・シュミットの肖像画なのである。作者はフランスのキュビスム画家アルベール・グレーズ Albert Gleizes(1881~1953)。
1914~15年に描かれた《ピアニスト(フローラン・シュミットの肖像)》という油彩画のための下絵スケッチ。
中央の黒い塊がピアノに向かう作曲家の上半身(背中)、その上の白い半円が彼の頭部である。えっ? さっぱり判らないって? そりゃそうだ、なにしろキュビスム絵画なのだもの。