関東大震災から二週間後の1923年9月16日、戒厳令下の混乱に乗じた憲兵隊は大杉栄と伊藤野枝と幼い甥を新宿柏木の自宅近くで拘束し、司令部で暴行扼殺のうえ遺体を古井戸に遺棄した。今から九十七年前の身の毛もよだつ思想弾圧であり、実行当事者の甘粕正彦は誰の命令で犯行に及んだのか、下手人は本当に甘粕なのかなど、今なお謎の多い事件である。
小生が大杉栄や伊藤野枝について知るところは甚だ尠く、瀬戸内晴美の小説、宮本研の芝居、吉田喜重の映画を主たる情報源とする体たらくなのだが、今日は一枚のアルバムを取り出して、不自由な時代を自由に生きようと欲した人々を遠く偲ぼうと思う。
フルートとハープ、ならぬフルートとギターのため、林光が作曲(ないし編曲)した楽曲を集めたアルバムである。
その要(かなめ)をなすのは最後に収められた《パリ 1923》という組曲である。本盤のフルーティスト姫田大の委嘱により2003年に作曲され、「クロスロード~フルートとギターの夕べ」で、姫田とその相棒のギター奏者ヴィム・ホーグヴェルフ(Wim Hoogewerf)によって初演された。
林光が本アルバムに寄せた序文によれば、姫田が「ヴィムとふたりのために曲を書け」と言ってきたとき、彼が興味を抱いてきた「大杉栄をモチーフにしたい」という「お荷物的注文がついてきた」のだという。
題名《パリ 1923》の意味するところは明らかだ。1923年は大杉が中国人の偽名でフランスに密入国し、パリ郊外サン=ドニのメーデー集会で演説を行って逮捕され、ラ・サンテ刑務所に収監ののち国外追放されて帰国を余儀なくされた波乱の年だったからだ。
この年の秋、関東大震災から二週間後、大杉は妻の伊藤野枝、幼い甥とともに街頭で拘束され、憲兵隊司令部で虐殺される。楽曲として扱うには重たすぎるテーマである。それを林光はまことに鮮やかに、巧妙な技とアイディアで音楽にしている。まるでブレヒト=ワイルがそうしたように。
八曲からなる組曲は、小鳥たちが鳴きかわすパリの朝の情景に始まり、「オーギュスト・ブランキ通り」すなわち生涯を革命に捧げた先駆的な思想家・先導者ルイ=オーギュスト・ブランキの名に因んだ、パリに実在する通りを描き出す。ここから大杉が収監されたラ・サンテ刑務所は指呼の距離にあるのだという。第三曲「獄中の思索」はシャコンヌとして書かれ、ここで黙考と執筆に勤しむ大杉に思いを馳せる。
第四曲「イーゴリ」と第五曲「フランシス」は、この時期をパリで過ごしたストラヴィンスキーとプーランクを偲んだ、林なりのポルトレである。この年にディアギレフの依頼で作曲した両人のバレエ《結婚》と《牝鹿》とがそれぞれ初演されている。
六曲目の「ペール・ラシェーズ墓地」では、1923年にはもう故人となった詩人アポリネールが眠る。ここはまた、パリ・コミューンの叛乱者たちが最後の抵抗を試みた故地でもある由。
そして終曲「ミラボー橋」では、パリで交錯した人々のすべての営みを偲び、悼み、懐かしむかのようにアポリネールの詩が日本語で朗読される・・・。
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本アルバムが飛びぬけて秀逸なのは、フルートとギターの二重奏という制約にもかかわらず、選曲が考え抜かれている点だろう。おそらく奏者のみならず、林光も選曲の相談に与った結果だろうと推察する。
殿(しんがり)に控えた《パリ 1923》へとたどり着くまでに、私たちはまず、黒テントの芝居《ブランキ殺し上海の春》の挿入歌を三曲まで耳にする。
この芝居の冒頭で、1930年代の上海で道端の老人が口にする科白はこうだ。「私の名は、ルイ=オーギュスト・ブランキ。たったいま、上海に着いたところだ」。
そのあと奏でられる《ファンタジア JOHANN SEBASTIAN...2》は、標題にあるようにバッハが《音楽の捧げ物》で用いた主題をパラフレーズした作品だが、途中でショスタコーヴィチの《第十》やモーツァルトの《ジュピター》の主題が見え隠れした挙句、ブレヒト=ワイルの《ベルリン・レクイエム》の第三曲目「墓廟」の旋律へとたどり着く。別名「赤いローザ」。密かにローザ・ルクセンブルクへの深い追悼の念を滲ませた音楽である。
これに続く《メメント ~F. G. ロルカを追憶して》は文字どおりの追悼音楽。スペイン内乱でファシストに虐殺されたフェデリコ・ガルシア・ロルカの歿後七十年記念演奏会のために作曲された。
ブランキ、ローザ、ロルカ、そして大杉栄へ。ここに紡がれた音楽は並び立つ墓標となり、そのまま20世紀という過酷な百年間の路程標でもある。
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信濃町の文学座アトリエで宮本研の芝居《美しきものの伝説》を観たことがある。研修生たちの卒業公演だった。
言うまでもなかろうが、《美しきものの伝説》(1968)は大正期に実在した演劇人たち、女性解放運動や社会主義運動に邁進した改革者・革命家たちが実名で(ときに渾名で)登場する。島村抱月、松井須磨子、小山内薫、久保栄、中山晋平、澤田正二郎、堺利彦、大杉栄、伊藤野枝、平塚らいてう、神近市子、荒畑寒村、辻潤・・・。
関東大震災から二週間後のよく晴れた朝、大杉栄と伊藤野枝が真白い洋装で外出するところで暗転。芝居は唐突に終わる。言うまでもなく二人はそのあと惨殺されるのだ。
再び舞台に照明が灯ると、登場人物の全員が舞台いっぱいに並んで斉唱する。その歌詞「花咲かそう 花咲かそう 死ぬほど生きた人たちのため」に、不覚にも涙が滂沱と流れた。
そうなのだ、この忘れがたい芝居には「死ぬほど生きた」人々の生の軌跡が鮮やかに交錯していた。この挿入歌の作曲者もまた林光なのだった。