ラヴェル:
組曲《マ・メール・ロワ》
(18分10秒)
1982年1月20日、NHKホール
デュティユー:
交響曲 第一番
(30分30秒)
1987年1月22日、NHKホール
サン=サーンス:
交響曲 第三番
(36分00秒)
1982年1月27日、NHKホール
セルジュ・ボド指揮
NHK交響楽団
記録を繙くと、各曲は以下のようなプログラムに組み込まれていた由。1982年には「オール・ラヴェル・プロ」が組まれていたことがわかる。ボドにはフランス音楽の伝道者としての役割が期待されていたのだろう。
87年の二度目の共演では、必ずしもフランス音楽に限らず、例えばチャイコフスキーの《第四》やマーラーの《第九》まで披露されている。
1982年1月22日 859回定期(A)
ラヴェル:
組曲《マ・メール・ロワ》◇
《スペイン狂詩曲》
ピアノ協奏曲 ト長調 *ピアノ/クリスティーナ・オルティーズ
《ダフニスとクロエ》第二組曲
1982年1月27日 860回定期(B)
ベルリオーズ:《海賊》序曲
ラロ: スペイン交響曲
*ヴァイオリン/ジャン=ジャック・カントロフ
サン=サーンス: 交響曲 第三番 ◇
1987年1月22日 1011回定期(A)
デュティユー: 交響曲 第一番 ◇
リスト(ブゾーニ編):《スペイン狂詩曲》
*ピアノ/ブリジット・エンゲラー
ストラヴィンスキー:《春の祭典》
いやはや、録音記録ほど冷徹なものはない。
1982年の《マ・メール・ロワ》には大いなる失望を禁じ得ない。アンサンブルの音色が垢抜けず鈍重で、感覚的な悦びや閃きに乏しく、木管楽器のソロもほうぼう綻んで、とても安心して聴ける水準に達しない。過去にマルティノンやアンセルメやフルネの薫陶を受けたとはいえ、80年代のN響は独墺音楽一辺倒で、フランス的なエスプリの表出からよほど遠のいていたのだろう。少なくともラヴェルの官能性の表出という点でまるきり失格だ。
ところが、である。一転して五年後の1987年のデュティユーの第一交響曲の目覚ましさはどうだ。
全曲を貫く揺るぎない構成感、細部への周到な目配り。ボドの采配がよほど行き届いていたのだろう、N響にとっては初めての曲目(その後も演奏していない)だったはずだが、どこにも迷いのない堂々たる演奏である。
考えてみたら、ボドはこの交響曲を当時の手兵リヨン国立管弦楽団と正規録音(1985/86)するほど隅々まで知悉していたはずだし、1970年7月にロストロポーヴィチがデュティユーのチェロ協奏曲《遥かなる遠い世界》をエクス=アン=プロヴァンスで世界初演した際、パリ管弦楽団を率いて共演したのはボドその人だった。
番組で池辺晋一郎がいみじくも喝破したように、このN響とのデュティユーは、ボドとしても「おそらく満足のゆく演奏だっただろう」。
サン=サーンスも力のこもった好演だ。ラヴェルと同じ1982年の実演だが、こちらには場違いな非フランス的な違和感はほとんどない。天駆けるような爽快感にやや不足してはいたが、構えの大きい重厚な響きを存分に堪能した。
実際には斜め上方からオルガンの音が降り注ぐ奇妙な音響だったかもしれないが、録音で聴く限り、バランスの不自然さは感じなかった。
この調子でボドとN響が90年代にも共演を重ねれば、これらのさらに先を行く壮絶な名演も期待できたはずだ。
あれだけ充実したデュティユー演奏が可能だったのだから、ボドの十八番であるオネゲルの交響曲(とりわけ《第三》《第五》)や《火刑台のジャンヌ・ダルク》、あるいはメシアンの《われ死者の復活を待ち望む》(ボドはその初演者である)などが実現していたら、どんなによかっただろう。N響への客演が二回で途絶えてしまったのが、返す返すも悔やまれる。