かつての天文少年のなれの果てとしてはいささか心が騒ぐ。子供時代の愛読書から当該箇所を引く。野尻抱影の名著『天体と宇宙』(偕成社、1962)より「隕石と隕鉄」の一節。原文は総ルビ。
流星となった宇宙塵が空中で燃えきれずに、その一部が地上まで落下してきたものを隕石(落ちた石)という。それを拾ってみると、主として黒味がかったカンラン石である。また鉄分の多いものを隕鉄といい、中間のものを石鉄隕石という。しかし隕鉄といっても結晶性のもので、地上の鉄とは性質を異にしている。
落ちたばかりの隕石は、表面は熱いが、内部には〇下二百七十度余の高空から落下した低温が残っているので、表面が忽ち冷えて霜を結ぶのが見られる。そして学者は隕石の含んでいるガスから、地球上層の大気の成分を直接に知ることができる。
隕石・隕鉄には稀れに巨大なものがある。ニューヨーク博物館にあるグロートフォンテイン大隕石は南アフリカで発見されたもので、重量五十――七十トンの間であるという。またケープ・ヨーク大隕鉄は、最初の北極探検家ペァリーがグリーンランドで発見したもので、重量三十六トンである。
日本で発見された隕石・隕鉄は百個ほどであるが、最大の隕石は、一八五〇年(嘉永三年)に岩手県気仙村に落ちたもので百三十五キログラム、同じく隕鉄は、一八八五年(明治三七年[註/正しくは一八年])に滋賀県田上山で発見された百七十四キログラムである。
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こういう隕石群が仮りに大都市に落ちたならば、爆弾落下におとらぬ大惨事を生ずるだろうが、隕石の多くは無人の荒野や、砂漠や、更に地球の表面の三分の二を占めている海へ落ちるものと考えられる。
また、大気が毎日二千四百万という流星を、その途中で蒸発させ、灰にしてしまうことは、われわれ人間にとってまことに幸福といわなければならない。