密かに不死身を信じていたエンニオ・モリコーネが亡くなった。享年九十一は先日のミルトン・グレイザー同様、まさしく大往生だろう。
彼の楽曲を初めて耳にしたのは1965年暮れ、「マカロニ・ウェスタン」の俊英セルジョ・レオーネ監督作品《荒野の用心棒》の日本公開時だった。田舎の中学一年生は映画館に観に行くことこそ叶わなかったが、ラジオのベストテン番組でそのテーマ曲が頻繁に流れたから、エンニオ・モリコーネの名とともに否応なく耳に刷り込まれた。
物心ついて封切時に映画館で接したモリコーネの音楽といえば、労働運動のさなかの悲恋を切々と綴ったマウロ・ボロニーニ監督作品《わが青春のフロレンス》(1970)と、サッコとヴァンゼッティの冤罪事件を描いたジュリア―ノ・モンタルド監督作品《死刑台のメロディ》(1971)の二作だったろう。
だが、自分にとってどんな映画にも増して決定的なモリコーネ体験といえば、ベルナルド・ベルトルッチ監督の五時間を超える壮大な歴史絵巻《1900年》(1976)の日本公開だった。1982年秋のことだ。
幼馴染の二人の男が辿る波乱の人生を通して、イタリアが体験した激動の20世紀(この映画の原題は "Novecento" すなわち「20世紀」という)をまるごと提示しようとするベルトルッチの野望の実現である。その破天荒の意欲においてヴィスコンティをも凌駕する、空前絶後の超大作だった。
今でも思い出す。開巻一番、スクリーン一杯に、ペッリッツァ(Giuseppe Pellizza da Volpedo)の大作絵画《第四階級 Il quarto stato》(1901完成)の中央部分――髭をたくわえた男の顔――が映し出され、そこに荘重で崇高なオーボエの旋律が静かに流れだす。胸を打つ音楽である。
やがて主題は弦楽合奏と無歌詞の合唱へと受け継がれ、止めようのない怒濤のような高まりをみせる。キャメラはゆっくりと引いていき、ほどなく絵画の全体が映し出される。無数の労働者がこちらへ向かって歩を進めようとする場面なのである。
まるで「ラ・マルセイエーズ」のような、「インターナショナル」のような、そして(あえて言うならば)ベートーヴェンの「歓喜の歌」にすら匹敵するような、気高く、深々とした、精神を鼓舞するように崇高なテーマ曲を書ける作曲家は、エンニオ・モリコーネを措いて他にいない。そう確信したからこそ、ベルトルッチ監督は彼にすべてを委ねたのだ。
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