1931年から32年にドイツ留学を果たし、ヘッセの知遇を得るとともに、デーブリーン、フォイヒトヴァンガー、さらにはブレヒトとも「親しく度々語ることを得た」ドイツ文学者の高橋健二(1902~1998)は、帰国後ほどなく時流に乗ってナチス文学の紹介者の役割を率先して担った。旺盛な翻訳・評論活動に努めた甲斐あって、めきめき頭角を現した高橋は1942年、辞した岸田國士の後任として大政翼賛会文化部長に晴れて(?)就任した。
戦後はエーリヒ・ケストナーのよき友人・理解者として振る舞い、彼の児童文学の個人全訳を成し遂げるとともに、1977年から81年にかけて日本ペンクラブ会長の要職にあり、85年には文化功労者に列せられた。まんまと進歩的文化人になりおおせたのである。
その虚飾に満ちた仮面が剥がれ始めたのは、最晩年にあたる1997年、研究者の高田里惠子が論考「高橋健二、戦う文化部長――第一高等学校と大政翼賛会文化部」を世に問うたのを嚆矢とする。高田はその後、『文学部をめぐる病い――教養主義・ナチス・旧制高校』(2001)で、高橋ら戦前・戦中のドイツ文学者の恥ずべき行状を完膚なきまでに挙げつらった。「岩波文化人」の一翼を担った高橋健二の名声は一挙に地に堕ちたのだ。死を前にして旧悪が露見して権威が失墜した点で、この人は野坂参三といい勝負だろう。
もはや押し留められない怒濤の奔流に掉さして、とどめの一撃さながら、ひとりの老ドイツ文学者が一冊の本を上梓した。ただし少部数の自費出版なので、あくまでひっそり、ささやかに、ほとんど誰にも気づかれない形でだが。
関 楠生
高橋健二とナチズム あるいは一ドイツ文学者の病歴
――忘れっぽい人のために
私家版
2003年11月
関 楠生(せきくすお/1924~2014)の名は、ヘンリー・ウィンターフェルトの『リリパット漂流記』『カイウスはばかだ』『星からきた少女』『ポニーテールは王女さま』、ハンス・バウマンの『たいようの小馬』『ペルーの神々と黄金』、ウルズラ・ウェルフェルの『火のくつと風のサンダル』、クルト・リュートゲンの『氷島のロビンソン』など、1970年前後に学研から陸続と出た現代ドイツ児童文学の翻訳者として私たちにも親しい。
1946年に東京帝国大学独文科卒業というから、高橋健二の後輩にあたる。ちなみに彼の実父の関 泰祐(たいすけ/1890~1988)も同じくドイツ文学者にして、やはり東京帝国大学独文科の出で、こちらは高橋健二の十年ほど先輩にあたる。泰祐はゲーテ、シュトルム、トーマス・マンを専門とし、1950年代にマンの大作『ファウスト博士』(岩波書店)を息子・楠生と共訳している。
このように世代的にも人脈的にも、また専門分野においても高橋健二と因縁の浅からぬ関楠生がかかる直截なタイトルの本を出すからには、よほどの決心、というか、やむにやまれぬ動機があったと推察できるだろう。
本書の「前書き」にはこうある。
あえて断るまでもないが、私の意図は高橋健二の個人攻撃ではない、彼の書いた文章から多くを引用し、[...]高橋自身をして語らしめることを心がけた。
その高橋健二が日独両国におけるファシズムの進行とともにどう動いて行ったかを検証するのが本稿の目的なのだが、それは同時に、この日本におけるドイツ文学研究の歩んだ道を知るための一助ともなろうか。
まさしく本書はそのとおりの本である。著者ならではの視点や独自の見解はほとんど披歴されず、ひたすら当時――すなわち留学から戻った直後の1933年から、大政翼賛会文化部長に就いた1942年まで――高橋健二が書き綴り、活字として残った文章のみを時系列で追う。
いきおい本書は多くの引用を綴り合せた織物の様相を呈している。そこには大胆な仮説の提示も、ドラマティックな展開もなく、どちらかというと平板で退屈な引用の羅列が続くのだが、その行間から次第に浮かび上がるのは、確たる信念や定見を欠き、時代の趨勢に流されやすく、それだけに機を見るに敏で変わり身の早い日和見主義者、凡庸にして狡猾な文学者のポルトレである。
留学時にはデーブリーンやフォイヒトヴァンガーらユダヤ系作家に接近し、帰国後はハイネを正当に論じたにもかかわらず、ヒトラー政権が樹立されるや、高橋はナチス文学称揚へと転じ、都会的・頽廃的なユダヤ系の作家・詩人たちをコズモポリタンで非生産的な「アスファルト文学」と呼んで非難する。
高い評価を与えていたはずのトーマス・マンですら、(ユダヤ系ではないかとの誤情報に基づき)頽廃と虚無、懐疑や自嘲の文学と断ぜられ、後年あれほど親しむことになる(非ユダヤ系の)ケストナーに対しても、「厚顔無恥とも見える現実暴露と奔放無自制大胆な表現」と否定的な言辞が吐かれる。
要するに高橋はナチス政権の反ユダヤの文化政策にすり寄って盲目的に追認し、その絶大な権威を嵩に、スポークスマンよろしく居丈高な発言を繰り返すのだ。いつの世にもはびこる典型的な機会主義者の態度であり、「厚顔無恥」で「無自制」なのはお前のほうだ、と詰りたくもなる。
著者の関 楠生は高橋健二への非難めいた言葉を本書に一言も書き留めていないが、本書に再録された高橋自身の文章がすべてを物語っている。
それにしても、これら戦前・戦中の露骨に親ナチ的な言動は戦後に彼が文学者のキャリアを再開するうえで妨げとならなかったのだろうか。否、むしろ、彼が事あるごとにヘッセやケストナーとの親密な交遊ぶりを吹聴し、日本ペンクラブの要職に就いたのも、すべては戦前の後ろ暗い過去を隠蔽し、無かったこととして浄化する、高橋一流の「経歴ロンダリング」作戦の一環としてなされたのだと解すべきかもしれない。
まことに憐れむべき、恥辱にまみれた病的な生き方である。
本書が「一ドイツ文学者の病歴」と題されるのもむべなるかな。副題にある「忘れっぽい人のために」とは、むろん私たちのことだ。本文の筆致の無表情なポーカーフェイスとは裏腹に、題名に籠められた著者の憤怒と絶望は底知れず深い。