近在の散策と食料調達のほかには努めて外出を控え、ひたすら在宅してCDとラジオを聴き、それにも飽いたら気儘な読書にいそしむ。暇つぶしといえばそのとおりだが、退屈することは全くない。
少し前――あれは三月だったろうか、はるか遠い昔のような気がする――最後に上京したおり丸の内の丸善でイタリアの幻想作家ボンテンペッリの中篇『鏡の前のチェス盤』(橋本勝雄訳、光文社古典新訳文庫、2017)を買い求め、そのまま打っちゃっておいたのを試みに読んでみると、これが実に奇妙な味わいがして俄かに興趣が湧いた。
ボンテンペッリの小説集といえばたしかもう一冊、ちくま文庫の『わが夢の女 ボンテンペルリ短篇集』を架蔵していたはずなのだが、いくら書庫をまさぐっても見つからない。
仕方がない、重複を覚悟でもう一冊を取り寄せようとネットで検索すると、その初出とおぼしき戦時中の古い版が手頃な価格で売りに出ている。見つけたのは横浜の白楽にある「Tweed Books」という面白そうな古書店のサイトだ。本来なら実店舗まで赴いて店主にお目にかかりたいところだが、今の時世に鑑みてぐっと我慢した。
http://www.tweedbooks.com/?pid=141151729
やや状態に難ありとのことだったが、届いた現物をみると、経年変化こそあれ、どこにも瑕釁のない美本である。しかも当初の帯まで完備する。
マッシモ・ボンテムペッリ
我が夢の女
岩崎純孝、柏熊達生、下位英一 共譯
河出書房
1941(昭和十六年二月)
その帯から惹句を引いておく。
伊太利文壇の驍將として國立アカデミイに其の輝しい權威を誇るボムテンペッリの作品集である。取材をはるかに現代の常識圏外に求めた怪奇な綾織とも云ふべく一讀よく南歐の華麗な夢に誘れよう。
「現代の常識圏外に」題材を求めた「怪奇な綾織」。まさしくボンテンペッリの不思議な持ち味を巧みに言い当てた至言であろう。
八十年近く経ったわりに保存状態のよい頁を捲って、冒頭に置かれた表題作「我が夢の女」と、続く「戀人のごとく」「鏡」の三篇を手始めに読んでみると、いやはやこれが滅法面白い。いずれもありふれた散文的な日常に、一枚の鏡やガラス戸が導入されるのを契機に、異界への扉が音もなく開き、思いもよらない珍事が巻き起こる。
先に読んだばかりの中篇『鏡の前のチェス盤』とも共通する筋書きであり、道具立てである。これぞボンテンペッリならではの妙味なのだろう。
この奇抜で瀟洒な短篇集が緊迫した戦時下に邦訳で読まれたとは、ちょっと信じがたい気がする。
いやむしろ、そういう時世だからこそ、日独伊三国同盟の追い風を背に受けて、現代イタリア文学が大手を振って闊歩できたというべきだろう。
実をいうと、ボンテンペッリ自身もファシズムと深く結びついた作家だった。第一次大戦直後の1919年、未来派の流れを汲む彼はファシスト党の母体である「戦闘ファッシ」に賛同し、同団体がファシスト党に改組されるとほどなく1924年に党員となった。短篇集『我が夢の女』が刊行されたのはその翌年のことだ。ファシズムと奇想天外な幻想文学の結びつきはちょっと想像を絶する。事実は小説よりも奇なり。
さらに附言すると、本訳書の筆頭邦訳者である岩崎純孝(じゅんこう)は、1932年「日本ファシズム連盟」を結成し、わが国にイタリアのファシズム文学を紹介した、この分野の第一人者だった由。私たちの世代には、『クオーレ』や『ピノッキオ』、さらにはルネ・レッジャーニ『あしたあさって』などイタリア児童文学の名訳者として馴染の名前だが、過去にこんな禍々しい行状があった人だとは知らなんだ。