細部までつぶさに思い出せはしないものの、わが人生に何度とない、目覚ましいエルガー体験だったのは間違いない。
お目当てはもちろん、わが最愛の歌曲集である《海の絵》をフォン・オッターの実演で聴くことにあったのだが、演奏会そのものはヒコックス指揮による「オール・エルガー・プロ」の体裁をなし、彼が自家薬籠中のものとした演奏実践を存分に味わえるのも、ロンドンならではの特権的な体験だった。
とりわけ印象に残ったのは、ヒコックスの音楽設計の細やかさである。《海の絵》では(この歌曲集に親炙してはいない)北欧の独唱者をぴたりエスコートして支えるとともに、意識的にオーケストラから寒色系の色彩を引き出していたことだ。冒頭の「海の子守唄」でのひややかな音色配合に、これが夜の叙景であることに否応なく気づかされたものだ。
《エニグマ》では各変奏ごとの綿密な描き分け、表情の変幻自在ぶりに魅了されたが、最後の変奏の終わり方が唐突に短く、いつも聴き慣れたヴァージョンとは違っているのに驚かされた。あとで知ったが、これが初演時のオリジナル版だったのだそうだ。
二十年以上も経った今、思い出せるのはこんなところだ。もっと耳を欹てて真剣に聴くべきだった。ヒコックスはその九年後、六十歳という働き盛りで急逝してしまい、もう二度とその実演に接することが叶わなくなったからである。
そんなわけで、今日はヒコックスのエルガーを心して聴こう。
"Elgar: Cello Concerto etc. / Steven Isserlis -- LSO -- Richard Hickox"
エルガー: チェロ協奏曲
ブロッホ:《シェロモ》
チェロ/スティーヴン・イッサーリス
リチャード・ヒコックス指揮
ロンドン交響楽団
1988年7月、ウォットフォード・タウン・ホール
Virgin Classics VC 7 90735-2 (1989)
エルガー⇒ https://www.youtube.com/watch?v=LlzZK-T7dYg
英国の名手スティーヴン・イッサーリスが二十代の終わりに残した記念すべきエルガー録音。当時も今も、イッサーリスは一貫して愛器にガット絃(羊腸絃)を使用しており、その柔和で少しくぐもった音色は聴く人によって好悪が分かれようが、これこそチェリストの美意識なのだ。
そんなわけで、この若き日の協奏曲録音も個性的な響きと歌い回しゆえ、ああイッサーリスだ、とすぐに聴き分けられる演奏である。
イッサーリスの実演は聴いたことがないので偉そうなことはいえないが、彼のガット絃の音色は美しくはあるが、協奏曲ともなると音量が不足し、オーケストラの響きにかき消されてしまわないだろうか?
セッション録音の場合、ミクシングで音量をどうにでも調整できようが、それでも本盤におけるオーケストラはいささか遠慮気味、というか、常に控えめに背後から独奏をバックアップし、影のように寄り添うといった塩梅である。
永らくジャクリーヌ・デュ・プレ独奏、ジョン・バルビローリ指揮の歴史的名演(EMI、1965年)に馴染んだ(しかも昨年はライナーノーツ執筆のため、飽きるほど繰り返し聴いた)小生の耳には、このイッサーリス&ヒコックス共演盤はまるきり別種の音楽として響く。
前者でしばしば聴かれたチェロと管弦楽の激しい応酬やドラマティックな鬩ぎ合いは努めて回避され、音楽全体を仄かな憂愁が霧のように包み込む。とはいうものの、イッサーリスの技量に不足はなく、ヒコックスの行き届いた指揮も奏功して、エルガーならではの凛とした気高さの醸成に抜かりはない。
ちなみに、イッサーリスはパーヴォ・ヤルヴィ指揮フィルハーモニア管弦楽団とエルガーの協奏曲を再録音(Hyperion, 2014/15)している由。小生は未聴だが、批評はすこぶる宜しいようだ。ヒコックスはその後、いくつかのレーベルでエルガーの大作をあらかた録音しているが、チェロ協奏曲に関してはこのイッサーリスとの共演盤が唯一の音源のようだ。