ジョゼ・ヴァン・ダム(José van Dam)を生で聴いたのは1997年秋と99年初夏の二度、いずれもパリのオペラ座での《ペレアスとメリザンド》公演だった。どちらも同じロバート・ウィルソン演出による極度に抽象化・様式化された舞台だったから、観る人によって好悪が大きく分かれるだろう(小生は無論「好」の側、それも大絶賛したのだが)。
二年を隔てた二つの公演で、ペレアスもメリザンドも別の歌手に代わっていたのに、舞台上の配置も仕草も、何もかも細部までそっくり瓜二つに思えた。演出家ウィルソンにとって、個々の歌手は差し替え可能な、将棋の駒めいた存在なのだろう。主役二人ばかりかキャスト全員がほぼ総入替だったが、ゴロー役だけは変わらずヴァン・ダムが歌い演じたのが強く印象に残った。夢幻的なメーテルランクの詩劇のなかで、ゴローこそは唯一「生身の肉体と感情を具えた」地上的な存在だから、オペラを舞台上で成立させるために、彼の朗々と深みのある声、辺りを払う堂々たる偉丈夫がぜひとも必要だったのだ。
"Martin -- Ravel -- Ibert -- Poulenc / José van Dam -- Kent Nagano"
マルタン:
《イェーダーマン》からの六つの独白
ラヴェル:
《ドゥルシネア姫に思いを寄せるドン・キホーテ》
イベール:
《ドン・キホーテの四つの歌》
プーランク:
《仮面舞踏会》
バリトン/
ジョゼ・ヴァン・ダム
ケント・ナガノ指揮
リヨン歌劇場管弦楽団
1990年10月31日~11月3日、リヨン、モーリス・ラヴェル楽堂
Virgin Classics VC 7 59236 2 (1992)
ドゥルシネア姫に思いを寄せるドン・キホーテ⇒
■ ロマネスクな歌 https://www.youtube.com/watch?v=sO5tWNOQefU
■ 叙事的な歌 https://www.youtube.com/watch?v=f3npUQ3CtW4
■ 乾杯の歌 https://www.youtube.com/watch?v=vzdo9lUoWeQ
仮面舞踏会⇒ https://www.youtube.com/watch?v=5OFVUPmjInM
なにより本盤は選曲が抜群にいい。1930~40年代に四人の作曲家がバス・バリトン用に書いた小管弦楽を伴う歌曲集ばかり並ぶ。ラヴェルとイベールはともに同じシャリャーピン主演の映画《ドン・キホーテ》用に作曲し、マルタンとプーランクとは厳粛と軽妙、沈潜と諧謔の対照を互いに際立たせる。低音の男声にどこまで多様な表現が可能かを、端的に例示したプログラムなのだ。
フランク・マルタンの歌曲集はホフマンスタールの名高い野外劇《イェーダーマン》に基づくもの。人の死をめぐる寓話劇から詩句を引いたのは、1943年という作曲年代に鑑みて当然の営みだろう。シェーンベルクの感化が色濃い。過去にもハインツ・レーフス、ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ、テオ・アダムらの先行録音があるそうだが、小生は初めて聴いた。
よく知られている事実だが、フョードル・シャリャーピン主演の劇映画《ドン・キホーテ》のプロデューサーは五人の作曲家(ドラノワ、デ・ファリャ、イベール、ミヨー、ラヴェル)に、互いにそれと気取られぬまま、別箇に付随音楽を発注した。用いるのはどれか一人分である。どうしてそんな見え透いた悪辣な策を弄したのか、いずれ企ては露見するのに愚かなことだ。
映画に用いられたのはイベール作品。選から漏れたラヴェル側に憤りや蟠りがなかったといえば嘘になろう。まして、これが彼の最後の作品と知ると、なんたることぞと嘆きたくもなる。
本アルバムはその因縁の二作を並べて聴く数少ない機会なのである。スペイン愛の結露というべきラヴェル作品も、古雅な情趣が漂うイベール作品も、ともに味わい深い佳作である。
ヴァン・ダムはほかでも、ラヴェルはブーレーズ指揮で、イベールは別の機会にピアノ伴奏で二度(EMIとForlane)録音しており、いわば自家薬籠中のレペルトワールに臨んだ余裕たっぷりの歌いっぷり。
そして締めくくりはプーランクの《仮面舞踏会》。八人のアンサンブルを従えてバリトンが面白おかしく歌う。すべてを洒落のめし、笑い飛ばすような音楽だが、これもまた1930年代のもうひとつの貌であろう。ヴァン・ダムの芸風の多彩な広がりを味わうには打ってつけの選曲である。
これら四作で周到な伴奏指揮を行うのは若きケント・ナガノである。
当時のナガノは Virgin Classics レーベルの看板指揮者のひとりとして、手兵リヨン歌劇場を率いて、シュトラウスの《サロメ》、プロコフィエフの《三つのオレンジへの恋》やプーランクの《カルメル会修道女の対話》(それぞれ全曲盤)など、目覚ましい成果を収めつつあった。いずれの録音でも、ヴァン・ダムは決まって重要な役柄で歌っていた。本アルバムは盟友同士の好ましい信頼関係の所産でもあったのだろう。