バッハの神髄はミサ曲と受難曲にあると断ぜられると、不信心者の小生なぞはすごすご引き下がるほかあるまい。どうしても辿り着けない閉ざされた奥津城があるのだと慨嘆するまでだ。
だからといってバッハが縁遠く感じられるわけではない。彼の音楽はどんな不心得な異邦人の耳にもちゃんと届いて、聴く者の魂を慰撫し、鼓舞し、高揚させる。それだからバッハは偉大であり、別格なのだ。
今のような時節にはモーツァルトでもベートーヴェンでもなく、バッハこそが深く胸に沁みる。そこにはどこまでも人間的でありつつ、はるか高みへと向かう精神の飛翔があるからだ。
"Johann Sebastian Bach: Oboe Concertos & Cantatas"
バッハ:
オーボエ協奏曲 ト短調 BWV1056R
カンタータ 第84番《われ足れり我が幸いに》*
オーボエ、ヴィオラ・ダ・ガンバ、ヴァイオリン、ファゴットのための協奏曲 ハ長調 BWV1061 (ティム・ウィリス編)
カンタータ 第52番《悪しき世よ、われは汝に頼まじ》*
オーボエ・ダモーレ協奏曲 イ長調 BWV1055
オーボエ、オーボエ・ダモーレ/クセニア・レフラー
ソプラノ/アンナ・プロハスカ*
ヴァーツラフ・ルクス指揮
コレギウム1704
コレギウム・ヴォカーレ1704*
2017年7月、プラハ、聖アンナ教会(Kostel svaté Anny)
2017年11月、プラハ、ドモヴィナ・スタジオ(BWV1061)
Accent ACC 24347 (2018)
https://www.youtube.com/watch…
大バッハがオーボエの音色をことのほか愛していたと信ずべき証拠がある。残された数多くのカンタータのシンフォニア(序曲)やアリアで、ここぞという箇所で胸に沁みる旋律をこの楽器に委ねているからだ。
だから楽譜は失われたものの、バッハは必ずやオーボエ協奏曲を作曲したはずだという魅力的な仮説に基づいて、現存するチェンバロ協奏曲の原曲として「あり得たはずの」オーボエ協奏曲を「復元」する試みは古くからなされており、私たちもLP時代の昔から、ヘルムート・ヴィンシャーマン、ハインツ・ホリガーら数多くの演奏実践に触れてきた。
このアルバムもその流れを汲み、バッハがオーボエに主たる役割を委ねた楽曲を集めたものだが、オリジナル作品はカンタータ二曲のみで、三つの協奏曲はいずれも上述したように「復元」作品ばかりである。
独奏者はベルリンを拠点に活躍する閨秀ピリオド楽器奏者クセニア・レフラー(Xenia Löffler )。昨年も来日したそうだが、バロック楽界に疎い小生は初めて聴く。なるほど美しい音色と安定した技量の名手である。
冒頭のBWV1056の原曲はチェンバロ協奏曲ヘ短調(第五番)、絶品というべき緩徐楽章ラルゴ(アリオーソ)はミレイユ・ダルク主演のフランス映画《恋するガリア》主題曲として人口に膾炙した。
この曲がもともとオーボエ協奏曲だった確たる証拠はなく、ヴァイオリン協奏曲だったかもしれないのだが、オーボエで吹かれるアリオーソのしみじみとした味わいに溜息が出る。
最後のBWV1055はチェンバロ協奏曲イ長調(第四番)をオーボエ・ダモーレ協奏曲に仕立てたもので、昔から演奏機会が多く、むしろ原曲のチェンバロ協奏曲よりも親炙している。独奏楽器がオーボエでなくオーボエ・ダモーレなのはやや低い音域からの推定なのだそうだが、この復元版が醸す甘美な愉悦感はたしかに真正のバッハならではものだ。
本アルバム最大の問題作にして聴きものはBWV1061、二台のチェンバロのための協奏曲ハ長調の復元版だろう。
通常だったらBWV1060(ハ短調)を「復元」したヴァイオリンとオーボエのための協奏曲ニ短調が収録されそうなものだが、ここではあえて予想を裏切ってBWV1061の新編曲版が披露される。しかも「オーボエ、ヴィオラ・ダ・ガンバ、ヴァイオリン、ファゴットのための協奏曲」と称されている。
すなわち、原曲の二台のチェンバロ独奏を異なる楽器に委ねるばかりか、左手と右手のパートをそれぞれ分離して、第一チェンバロを「オーボエとヴィオラ・ダ・ガンバ」、第二チェンバロを「ヴァイオリンとファゴット」に移し替えるという、予想外の奇策を講じた。編曲者はTim Willis という人。
そんな際物めいた「復元」は認めないという向きもおられようが、これが実に興味深い出来なのだ。二つの独奏部がはっきり分離し、しかも高音域と低音域がさらに別々の楽器で奏されるため、対位法的な線の流れが明瞭に浮かび上がるうえ、ややもすると単なる添え物になりがちな弦楽合奏がうまい具合に独奏部と絡み合い、響き合う。全体として、見事にバランスのとれた合奏協奏曲を聴いた満足感が得られるのである。
残りの二曲は教会カンタータ。ともにオーボエが重要が楽器として組み込まれ、印象に残るソロが随所にある。
だがこれらカンタータにおける真の主役はといえば、独唱を務めるソプラノ歌手アンナ・プロハスカ(Anna Prohaska)にほかなるまい。彼女の歌唱にはストレートな気迫と真摯な表出力が漲っていて、聴いているこちらの背筋までピンと伸びる思いがする。驚嘆すべき声の表現であり、バーバラ・ハニガンとともに、今なんとしても生で聴きたい歌手の筆頭だろう。
プロハスカと聞くと、われら老人世代は1950年代のLP黎明期にバッハのカンタータの録音を数多く残したウィーンの名指揮者フェリックス・プロハスカ(Felix Prohaska)を反射的に思い出してしまうが、アンナ・プロハスカ嬢はその孫娘なのである。