今日のGoogleの検索画面に見覚えのある禿頭の男性が登場している。なんと、イグナーツ・ゼンメルワイスではないか!
https://www.google.com/doodles/recognizing-ignaz-semmelweis-and-handwashing
誰だい、そいつは、と訝しがる方に、手っ取り早く日本版ウィキペディアから引く。
センメルヴェイス・イグナーツ(洪)/イグナーツ・ゼメルヴァイス(独)
[1818年7月1日 –1865年8月13日]
ドイツ系ハンガリー人の医師。消毒法の先駆者として知られ、「母親たちの救い主」とも呼ばれる。
19世紀中頃には産褥熱(さんじょくねつ)の発生数が多く、産婦の死亡率も高かった。特にウィーン総合病院の第一産科では、一般的な助産師による出産と比べ死亡率が三倍も高くなっていた。ここに勤務していたセンメルヴェイスは、産褥熱の発生数を調査し、1847年、産科医が次亜塩素酸カルシウムで手を消毒することで劇的に産婦の死亡率を下げることができることを発見し、『産褥熱の病理、概要と予防法 Die Aetiologie, der Begriff und die Prophylaxis des Kindbettfiebers』と題した本にまとめて出版した。
センメルヴェイスは手洗い法が死亡率を1%未満にまで下げられる科学的な証拠を数多く示したが、この方法は当時の医学界に受け入れられず、むしろ彼に怒りを示したり嘲笑したりする医師さえいた。1865年、センメルヴェイスは神経衰弱に陥り、精神科病棟に入れられた。そしてここで衛兵に暴行を受けた際の傷がもとで、47歳にして膿血症で死去した。しかし、彼の死後数年を経て、ルイ・パスツールが細菌論を、ジョゼフ・リスターが消毒法を確立し、センメルヴェイスの理論は広く認められるようになった。
子供の頃、科学史に興味を抱いていた小生はユルゲン・トールヴァルトの浩瀚なドキュメンタリー小説『外科の夜明け』で、イグナーツ・ゼンメルワイスの悪戦苦闘ぶりを読んで昂奮した。
19世紀半ば、医師たちは手も洗わずに手術を行い、病床の汚れたシーツは一向に替えられなかった。病棟に漂う膿の臭いすら治癒の兆候だと皆が信じていた。病を伝染させる細菌の存在を誰一人知らなかったのである。
ゼンメルワイスの主張はすこぶる明快だった。「医師は手を洗え」。だが、周囲の誰もがそれを一笑に付して取り合わず、排斥されたゼンメルワイスは狂人扱いされた挙句、志半ばで空しく斃れた。人々の無知が偉大な先達をむざむざ死に追いやったのである。
■ ユルゲン・トールワルド著、塩月正雄 訳『外科の夜明け』東京メディカル・センター、1966年刊。
高度な内容の医学史を手に汗握る記述で読ませる大傑作。のちに講談社文庫に入った。小学館から出た別版は完訳でないので読むべからず。