前にも何度か話題にしたことがあるが、かつて駆け出しの編集者だった小生は、下請けプロダクションの一員として、このシリーズの編集に二年間ほど携わった。1980年代初め頃である。刊行から三十七年の時を経て、数度の改訂を施されながら、今も現役で手に入る『学習まんが 少年少女日本の歴史』は出版史に輝く超ロングセラーといえるだろう。
全二十巻(当初はこの巻数だった)、古代から昭和初年までの日本の歴史を漫画化する。「学習まんが」なので、ストーリー展開や歴史解釈のみならず、描画の正確・詳細さが問われる。ただ面白いだけでは駄目なのだ。
これこそ、言うは易く、行うは難い作業である。卑弥呼の館はおろか、聖徳太子や蘇我馬子の宮殿も、平安貴族の寝殿造の邸宅も、戦国時代の山城も、信長の安土城も、秀吉の大坂城も聚楽第も、詳細はわからないのに、すべてを事細かに視覚化せなばならぬ。学界でもまだ確たる復元案がないにもかかわらず。これはもうほとんど無謀な企てだ。
作画する漫画家あおむら純さんからの要求はシビアだった。建物の外観はもちろん、襖や屏風の図柄、畳の敷き方、天井の張り方まで、「細部がわからないと絵には描けないよ」と鋭く追及された。登場人物の装束や家具調度、武具甲冑についても同様である。
建築史や服飾史、武具や船舶の先生方から情報を聞き出し、資料を掻き集めて漫画家に伝達するのが我々編集者の仕事である。思い出しても冷や汗が滲む。重ね着する装束の色や柄、畳の縁の模様までとことん調べ上げたのだ。
今だったら国立歴史民俗博物館があり、江戸東京博物館があり、精密な建物模型やジオラマ展示を参照できるのだが、当時はなにひとつ見学できなかった。一からすべてを専門家から訊きださなければならなかったのだ。
刊行の途中で台本執筆者がダウンしてしまい、鎌倉時代末期あたりからはシナリオの作成までも編集者の仕事になった。歴史学者が書き下ろした大まかなストーリーを台詞形式に改め、コマ割りが可能な形にもっていく。
深夜の神保町の編集室で先輩編集者と二人きりで、必死になってギャグを絞り出したのを昨日のことのように思い出す。
西洋かぶれだった小生にとって、日本史は苦手中の苦手だったが、そうも言っていられない。否応なしに巻き込まれ、必要に迫られて俄か勉強した。この仕事のお蔭で、古代から近代まで、日本の歴史にずいぶん詳しくなった。
ただし、順を追って毎月一冊ずつ刊行する過密スケジュールゆえ、下請けプロダクションは二社あって交互に編集を担当したから、小生が関わった巻もとびとび。だから安土桃山時代には詳しいが、江戸幕府の成立にはまるで不案内、江戸末の庶民文化にはやたら造詣が深い・・・という知識の「まだら状態」が生じてしまい、そのまま今日に至る。
今ちょっと調べてみたら、小生が編集に関わったのは以下の巻だったと思う。初めは偶数巻がわがプロダクションの担当だったが、室町時代の二巻(シナリオを横井清先生が担当)を続けて制作したため、後半は奇数巻を受け持つこととなった。
第4巻 平安京の人びと
第6巻 源平の戦い
第8巻 南朝と北朝
第9巻 立ち上がる民衆
第11巻 天下の統一
第13巻 士農工商
第15巻 ゆきづまる幕府
第17巻 明治維新
第19巻 戦争への道
会心の作はなんといっても第15巻。標題は「ゆきづまる幕府」と物騒だが、内容は江戸後期の庶民文化の開花を扱い、江戸下町の長屋暮らしや、花見や花火や歌舞伎見物、葛飾北斎を案内人にした「浮世絵版画の摺り方」まで、面白おかしく紹介した。
この好機を利用して、小生も久しぶりに読み返してみたくなった。