偶然なのだが、注文してあったプロコフィエフのCDがその命日に届いた。まるで申し合わせてあったかのように。しかも屈指の名演である。
"Rivka Golani: Russian Concert"
プロコフィエフ(ワジム・ボリソフスキー編):
組曲《ロミオとジュリエット》
■ 序景
■ 街の目覚め
■ 少女ジュリエット
■ 騎士たちの踊り(モンタギューとキャピュレット)
■ 露台の場
■ マーキューシオ
ショスタコーヴィチ:
ヴィオラ・ソナタ
ラフマニノフ(ワジム・ボリソフスキー編):
ヴィオラ・ソナタ
プロコフィエフ(ワジム・ボリソフスキー編):
組曲《ロミオとジュリエット》
■ 謝肉祭
■ マーキューシオの死
■ ジュリエットの死
■ 朝のセレナード*
■ マンドリンを手にした踊り*
ヴィオラ/リヴカ・ゴラーニ
第二ヴィオラ/ダグラス・ペリー*
ピアノ/ジョン・レネハン2006年3月28日、トロント、CBCグレン・グールド・スタジオ(実況)
Hungaroton HCD 32743/44 (2015)
ヴィオラのためのロシア音楽といっても、咄嗟に思い当たるのはショスタコーヴィチ最後の作品ヴィオラ・ソナタがあるばかりだ。ヴィオリストにとって「ロシアの夕べ」なる一夜の演奏会を催すのは至難の業だろう。
イスラエルの閨秀ヴィオラ奏者リヴカ・ゴラーニは、ソ連の名手ワジム・ボリソフスキー(高名なベートーヴェン弦楽四重奏団のヴィオラ奏者)がプロコフィエフの許可を得てバレエ《ロミオとジュリエット》をヴィオラ用に編曲していることに着目し、これを軸に一夜のリサイタルを組む妙案を思いつく。
もちろん遺作となったショスタコーヴィチのヴィオラ・ソナタは外せないが、一夜の演目にはまだ足りない。そこでゴラーニが白羽の矢を立てたのはラフマニノフのソナタである。そんな作品あったけかな、と訝しがる方もおられようが、上述のボリソフスキーはラフマニノフの名作チェロ・ソナタのヴィオラ版まで拵えていたのである。
これも含めれば充分リサイタルは成立する――そう考えた彼女はカナダで念願の「ヴィオラによるロシア音楽演奏会」を実現させた。本アルバムはその全部を収録したものだ。
普通だったら時系列に、ラフマニノフ⇒プロコフィエフ⇒ショスタコーヴィチの順にプログラムを組みそうなものだが、ゴラーニは別のやり方を考えた。プロコフィエフの《ロミオとジュリエット》組曲を前半・後半に二分し、それらで残りのソナタ二曲を挟み込む形でリサイタルを編成したのである。
その首尾はぜひ本アルバムでお聴きいただきたいが、ショスタコーヴィチでは違和感というか、少々よそ行き感を醸した彼女も、ラフマニノフでは豊かな音色と確かな技巧でたっぷり歌い上げ、ロシア情緒を満喫させる。
だが今日はプロコフィエフの命日なので、やはり《ロミオとジュリエット》をじっくり傾聴した。ボリソフスキーの編曲は見事なもので、バレエ音楽の醍醐味をたっぷり味わわせる。原曲のメロディアスな魅力をもっぱらヴィオラに担わせ、ピアノ伴奏ではプロコフィエフのリズミカルな書法を彷彿とさせる。
リヴカ・ゴラーニの演奏も申し分ない。技術的な破綻は全くなく、これがライヴ録音なのを忘れてしまいそうだ。
ボリソフスキー編曲版は全部で十三曲あるそうだが、ここではそのうち十一曲が奏される(冒頭で六曲、ラストで五曲)。最後の二曲だけはヴィオラ二挺とピアノ用に書かれているので、この演奏会でもカナダの名手ダグラス・ペリーが参加している。
「ジュリエットの死」でゴラーニのヴィオラが哀切に歌い上げたのち、二人のヴィオリストがアンコール風に軽妙洒脱なデュオを披露する。この一夜に居合わせたかったと悔しがるのは、小生だけではあるまい。
カナダの放送局スタジオでの公開演奏会のライヴ録音なのに、なぜかハンガリーのHungarotonレーベルから出た。その経緯は謎であるが、ゴラーニの長い芸歴のなかでも、エルガーのヴィオラ協奏曲(チェロ協奏曲のライオネル・ターティス編曲版)の世界初録音とともに銘記さるべきアルバムだと思う。