一昨日から精読しているのは、戦時中の美術雑誌。戦前から出ていた先進的な月刊誌『アトリヱ』が1941(昭和十六)年7月の「第一次美術雑誌統合」で廃刊となり、同年9月『生活美術』の名のもとに再出発したものだ。
繙いていたのは1943(昭和十八)年9月号。ミッドウェー海戦、山本五十六の戦死、アッツ島玉砕を経て、すでに戦況は敗色が濃厚であり、国民の生活はいよいよ逼迫の度合いを深めていた。この雑誌も紙質がひどく劣悪で、どのページも褐色に劣化しているから、扱いには細心の注意が必要だ。
本号は「繪本特輯」と題され、戦時下における少国民育成に絵本をどう資するかがさまざまに論じられる。その多くが今では読むに堪えないが、ただひとつ光吉夏弥が寄稿した論考「繪本の世界」は、絵本の本質をあやまたずに捉えた勇気ある正論と卓見に満ち、今なお味読するに足る。
光吉はわが国の絵本の「本当の進展はこれから」という立場から、その問題点を指摘し、果敢にもアメリカとソ連の成功例を引きながら、そこから何を学ぶべきかを的確に言い当てている。
繪本のもつ敎へ知らせる要素、啓發宣傳的な効用は、今日の如き時局下で一層高く發揚されることが必要であらうか、それについて想ひ起されるのは、五ケ年計畫當時、ソ聯でとられた盛大な繪本政策である。
あのころ出た、粗末な紙に刷られた薄い簡單な繪本、ちやうど去年日本でも出た四錢繪本と同形式の、しかし質的にはずつと高かつたソ聯繪本は、短い期間に何百種、何千萬部といふ大量を、どつと流し出した劃期的な生產の旺盛さで、世界を驚かしたものであつたが、それらはすべてただ一つの目的——子供ばかりでなく、おとなも含めてのソ聯全大衆の啓發のためになされたのであつた。
光吉はさらに、ダム建設や鉄道敷設、集団農法のあり方や新聞製作の実際など、ソ連では「凡ゆる知識的なものについての繪本が、ふんだんに提供された」と記したあと、最後にこう付け加える。
繪本がこのやうに盛大な國家目的への動員を持つたことはかつてないことであり、繪本出版がこれだけ計畫的になされたことも他に例をみないことであるが、しかもそれがいはゆる計畫繪本にありがちな生硬平板なものに堕することなく、繪本本來の魅力を本質的に持つたものであつたことは記憶されなければならない。