フレデリック・ディーリアスが作曲したデンマークゆかりの音楽を今日も聴いている。春先に相応しい音楽か否かは問わないことにしよう。
好都合なことに、そのために便利この上ないCDアルバムが存在する。デンマークの指揮者ボー・ホルデン(Bo Holten 「ホルテン」ではない由)が世紀の変わり目に陸続と送り出したディーリアス「ご当地ゆかりの傑作」シリーズ("English" "American" "Norwegian" "Danish" "French" の全五集)の一枚がそれである。
"Frederick Delius: Danish Masterworks"
ディーリアス:
《アラベスク》(イェンス・ピーダ・ヤコプスン詩)*
《五つのデンマークの歌》(ボー・ホルデン管弦楽編曲)**
■ 従者は高い塔に坐った (イェンス・ピーダ・ヤコプスン詩)
■ 至福のうちに、私たちは笑顔で歩いた (ホルガ・ドラクマン詩)
■ 褐色をした両の眼 (ハンス・クレスチャン・アナスン詩)
■ 夜に私は聞いた (ホルガ・ドラクマン詩)
■ 父よ、白鳥はいずこに去りしか(秋)(ルズヴィ・ホルスタイン詩)
《七つのデンマークの歌》**
■ 絹の靴 (イェンス・ピーダ・ヤコプスン詩)
■ イルメリンの薔薇 (イェンス・ピーダ・ヤコプスン詩)
■ 夏の夜 (ホルガ・ドラクマン詩)
■ 後宮の庭園 (イェンス・ピーダ・ヤコプスン詩)
■ 杯を掲げ、打ち鳴らせ(ワイン色の薔薇)(イェンス・ピーダ・ヤコプスン詩)
■ 長い長い年月を経て (イェンス・ピーダ・ヤコプスン詩)
■ 春よ来たれ (イェンス・ピーダ・ヤコプスン詩)
歌劇《フェニモアとゲルダ》間奏曲 (エリック・フェンビー編)
《二つのデンマークの歌》***
■ 菫 (ルズヴィ・ホルスタイン詩)
■ 夏の風景 (ホルガ・ドラクマン詩)
《シャクンタラー》 (ホルガ・ドラクマン詩)***
《生命の舞曲》
ソプラノ/ヘンリエデ・ボンデ=ハンスン**
バリトン/ヨハン・ロイダ* ***
デンマーク国立歌劇場合唱団&オーフス室内合唱団*
ボー・ホルデン指揮
オーフス交響楽団2000年3月27~30日、オーフス、フレクスパーケン
Danacord DACOCD 536 (2000)
独唱と合唱付きの《アラベスク En Arabesk》にすぐさま惹き込まれる。先日のディーリアス歌曲集とはうって変わり、頽廃と憂愁に満たされた世紀末作曲家としての趣が色濃く滲む。これこそがディーリアスの神髄なのだ。しかも通常の英訳版ではなく、ヤコプスンが書いたままデンマーク語のオリジナルで歌われるのも珍重に値しよう。
https://www.youtube.com/watch?v=Rc9GIagYq_Iこのアルバムでは、公刊された彼の最初の歌曲だというアナスン(アンデルセン)詩による《褐色をした両の眼》(1885)から、歿後に助手フェンビーが追加補作したオペラ《フェニモアとゲルダ》間奏曲(1936)まで、ディーリアスの生涯に及ぶデンマークとの強い絆が実感できるよう入念に選曲されている。歌われる歌詞もすべてデンマーク語である。
収められた歌曲には先日の歌曲アルバムと数曲(イルメリンの薔薇、夏の夜、後宮の庭園)が重複するが、オーケストラ伴奏で歌われるとまるで別物。ほの暗く濃密な味わいがぐっと深まっている。ロマンティックな夢想で終わらないところがディーリアス歌曲の真骨頂なのだ。
アルバムの最後に配された管弦楽曲《生命の舞踏 Lebenstanz/ Life's Dance》は、およそディーリアスらしからぬ激しい情熱と躍動感の漲る音楽である。
彼はヘリェ・ローゼ(Helge Rode)の戯曲《ダンスは続く Dansen gaar》(1898)に深甚な印象を受け、そこから触発されてこの交響詩を発想した由。その初稿は1899年に作曲されており、やはり同じ戯曲に想を得てほぼ同時期に描かれたエドヴァルト・ムンクの同題の油彩画と好一対をなしている。血気盛んな三十歳代のディーリアスにはこんな生気に溢れた一面もあったのだ。
https://www.youtube.com/watch?v=UNQOqujdRTI