今日(1月31日)は英国の映像作家デレク・ジャーマン Derek Jarman の誕生日だそうだ。もしもエイズで早世しなければ意気軒昂と七十八歳を迎えているはずだ。その死が惜しまれてならない。彼こそはケン・ラッセルの衣鉢を継いで実験映画と劇映画をひとつに融合させながら、21世紀の英国映画を率いていくはずの人だったからだ。
我々にとって幸いだったのは、極東の島国にありながら、彼の作品の多くを、長篇も短篇も、ほぼリアルタイムといってよい好条件のもと、スクリーンで観られたことだ。
これはひとえに、デレク・ジャーマンに傾倒し、やがてその出資者となった浅井隆さんの功績であろう。《エンジェリック・カンヴァセーション》も、《ラスト・オブ・イングランド》も、《ザ・ガーデン》も、《エドワード II》も、全篇がラテン語で(!)演じられる若き日の歴史劇《セバスティアネ》も、そしてデレクが視力を喪失してから撮られた《BLUE》も、すべて彼の生前に観ることができたのだから、これ以上もう何も望むことはない。
今もし、また大きなスクリーンで再見が叶うならば、イタリアの大画家の生涯をパンキッシュな姿で現代に蘇らせた《カラヴァッジオ》か、シェイクスピアの大傑作を自在に映像化した創意あふれる《テンペスト》か、そのいずれかを所望したい。いずれ劣らず、わが鍾愛の映画なのである。
もしも可能なら、彼の実験的なフィルムのうちで、《ドリーム・マシン》とたしか題されていたと思うが、これを生きているうちにもう一度、ぜひとも観たいものだ。その冒頭十分間こそはおそらくジャーマン全作品中の白眉であり、緩慢にして甘美な白日夢の世界へと否応なしに誘う。
薄れゆくおぼろげな記憶で語るほかないが、モノクロの画面には緩やかな動作で慈しむように踊る裸形の青年が映し出され、その背後ではラヴェルのピアノ協奏曲の第二楽章の至純な旋律が静かに流れていたはずだ。