1月7日はフランシス・プーランク(121歳)とジャン=ピエール・ランパル(98歳)の誕生日。このご両人が同じ日に生まれたなんて、神様はなかなか味なことをしてくれるものだ。しかも、この天性の笛吹きのために作曲家は晩年に稀代の名作を捧げることになる。これこそ絶妙なめぐり合わせ、天の配剤というほかあるまい。
プーランクのフルート・ソナタは1957年6月18日、第19回ストラスブール音楽祭で世界初演された。フルートはもちろんランパル、ピアノ伴奏は作曲家自身。
先ほどチェリスト山本裕康さんが以下のような興味深いツイートをしているのを発見。
この初演の時、譜めくりにピュイグ=ロジェ先生が呼ばれたそうです。プーランクはフルートのパート譜をランパルに前日に渡し、本番ではそのパート譜を見て即興で弾いてそれが譜面になったと言ってました。頭では完成してたんですね。それを見せるために私は呼ばれたんだとおっしゃってました。
そんなことって本当にあるのか? 初演時にはフルート・パートしかできておらず、ピアノは全くの即興だったなんてことが、果たしてあり得るのだろうか?
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こういうとき、援けになるのはカール・B・シュミット(Carl B. Schmidt)の精緻なプーランク評伝 "Entrancing Muse" (2001) だ。とにかく記述が詳しく信頼がおける。
同書によれば、プーランクの脳裏にフルートとピアノのためのソナタの最初の発想が閃いたのは、1952年秋のこと。パリのオーステルリッツ駅頭でのことだという。だが彼は興の赴くままフルート・ソナタに取りかかれない事情があった。委嘱された二台のピアノのためのソナタの作曲を優先させねばならなかったし、着手した畢生の大作オペラ《カルメル会修道女の対話》が難航を重ね、他の創作活動は悉く滞ってしまったのである。
その後、ワシントンのエリザベス・スプレイグ・クーリッジ財団から委嘱があり、ようやく軌道に乗ったフルート・ソナタは一年ほどで完成し、1957年6月7日にはワシントン宛てに楽譜が発送された。
ストラスブールで落ち合ったプーランクとランパルは、世界初演の前日(6月17日)、音楽祭の会場で通し練習をした。
客席には聴衆がたった一人だけいた。たまたま同地に滞在中の大ピアニスト(プーランクの旧友でもある)アルトゥール・ルービンシュタインが「もうストラスブールを発たねばならず、残念だが明日の本番は聴けない」と悔しがったので、彼だけのため特別に全曲を試演したのである。
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以上の史実を先のピュイグ=ロジェ女史の回想と突き合わせると、事の経緯はおそらくこうだ。プーランクは初演当日にフルート・ソナタを完全に仕上げていたばかりか、その伴奏部分をすっかり暗譜し、すでに自家薬籠中のものとしていたのだろう。だからこそ、本番ではフルートのパート譜を前にして易々とピアノを弾いたのだと思う。いくらなんでも、その場で即興演奏はありそうにない話である。
ともあれ、真相は今となっては藪の中だ。
この世界初演の模様はライヴ収録され、パリのラジオ局(Paris Inter)から放送された。その貴重な音源が現存し、今ではCD(INA mémoire vive IMV 092, 2CDs)で聴くことができるのは、無上の悦びである。これもきっと天の配剤なのだろう。
https://www.youtube.com/watch?v=OaIeWmZBUL8