大晦日も押しつまった今、ドイツのオペラ演出家ハリー・クプファー Harry Kupfer の訃報が届いた。1935年生まれの八十四歳だから無理からぬ年齢ではあるが、今年は11月に英国のオペラ演出家ジョナサン・ミラーを八十五歳で見送ったばかりだ。二大巨匠の相次ぐ死はやはり黄金時代の終焉を告げていよう。
東ドイツを中心に活躍したクプファーの演出作品を悲しいほど知らない。独墺物オペラを滅多に観ない小生だから仕方ないのだが、それでもたった一度だけ舞台を体験した。
1995年6月23日、旅先のベルリンでたまたま遭遇した《フィガロの結婚》が息を呑むほどに完成度の高い上演だった。演劇としての密度が半端でなく、それが歌われた芝居であるのを忘れるほどだった(ちなみに当夜の《フィガロ》はドイツ語上演)。
ほとほと感心してパンフレットを見たら、それがクプファー演出と記されていて、なるほどと深く頷いた次第。劇場は彼が長く根城にしていた東ベルリンのコミッシェ・オーパー。レパートリー上演だったから一人として高名な歌手は出ていなかったが、アンサンブルが恐ろしく緊密で、ストレイト・プレ
イを観ているような手に汗を握る緊迫感があった。クプファーは《フィガロ》を女好きの殿様が使用人にやり込められる軽妙なロココ劇とは捉えず、愛と幻滅と離反が交錯する人間ドラマとして構想した。したがってアルマヴィーヴァ伯爵も、奥方そっちのけで若いスザンナの尻を追い回す好色な中年男ではなく、深刻に懊悩する「悩める分別盛り」として造型される。まるでハムレットさながら思い悩む伯爵だったのだ。なんの期待も予備知識もなく、ふらりと劇場に入ったらこの名演出。ベルリンもまた恐るべき演劇都市なのだとつくづく思い知らされた。
ハリー・クプファーの演出した舞台を観たのはあとにも先にもこれっきり。でもそれは稀にみる至高の体験だったのである。