12月にはどこの新聞でも読書欄に「今年のわが三冊」といった年末特集があり、各界の著名人士がめいめい推薦書目を挙げていた。それにあやかって、小生も思いつくまま三冊を選んでみた。2019年に出た新刊書から、たまたま小生の視界に入った諸書のうちで、20世紀芸術史に絞ってのセレクション。
平居高志
中国で最初の交響曲作曲家
冼星海とその時代
アルファベータブックス
2019年7月刊 →書影と概要
斎藤慶子
「バレエ大国」日本の夜明け
チャイコフスキー記念東京バレエ学校 1960–1964
文藝春秋企画出版部
2019年12月刊 →書影と概要
文句なしの三冊である。
最初の高橋健一郎は、20世紀初頭のロシア文化研究の若き泰斗であるとともに、自らピアノ演奏もよくする異能の人。類書のなかったロシア・アヴァンギャルド音楽の分野に踏み込んだ本書では、まずクリビンのマニフェスト「自由音楽論」の趣旨が紹介され、未来派オペラ《太陽の征服》の音楽がいかなるものか探求したあと、ルリエーとストラヴィンスキーが日本の和歌(のロシア語訳)にそれぞれ作曲した歌曲集を周到に比較する――という三章だて。いずれ劣らぬ刺激的な論考であり、著者の手にかかると難解で知られる「宇宙論」や「四次元思想」も懇切に解きほぐされ、どうにか理解できそうな気分になってくる。読んでいる当方の頭脳まで向上させる、たいそう有益な一冊である。
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二冊目は中国作曲界の始祖、冼星海(Xian Xinghai シエン・シンハイ/しょうせいかい 1905~1945)の日本初の伝記である。両大戦間のパリで学び、帰国後は毛沢東の東征に加わり、抗日戦争下《黄河大合唱》を作曲。わずか四十歳で早世するが、最初の社会主義作曲家と崇められている。若き日の冼はパリのプロコフィエフ家の留守番役を仰せつかった一時期がある関係で、十年ほど前に本書の著者から問い合わせがあり、ロンドンのアーカイヴを紹介した。当時から平居さんは冼星海の探索をライフワークとされていた。冼が記した自伝的覚書ではパリ時代の事績が誇大に粉飾されており、真実を突き止めるのに多大な困難が伴うと聞かされた。冼は今や国家的英雄として神格化され、自由な研究は禁忌とされてしまい、作曲家としての実像が覆い隠されてしまった、とも。本書は多くの困難を克服し、現時点で望みうる最も誠実で正確な評伝である。この本が一高校教員の個人的な努力で成し遂げられた点を大いに偉としたい。
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三冊目が出たのはつい先日のこと。1960年からわずか四年間だけ存続した民営の「東京バレエ学校」について、その忘れられた歴史と意義を明らかにした劃期的な研究書である。ソ連から招かれた二人の教師は同国が培ったバレエ教育の神髄を惜しげもなく伝えた。その成果は絶大で、短期間しか存続しなかったにもかかわらず、同校からは多くの優秀なダンサーが巣立ち、現今のわが国のバレエ隆盛の礎となった。本書はロシアのアーカイヴに残る記録を読み解き、現存する関係者に丹念なインタヴューを重ねることで、失われた記憶を半世紀後の今に瑞々しく蘇らせた。背景をなすソ連の対外文化戦略の実態や、当時の中ソ共産党の対立に翻弄される日本の左翼の動向も生々しく描き出され、読み始めるや巻を措く能わずの面白さ。日露文化交流研究に一石を投ずる労作である。