梶本音楽事務所から届いた封筒には1970年1月15日のチケットが同封されていた。すなわち彼女の初来日公演の初日である。
同じく同封されたチラシからプログラム演目を書き写しておこう。「ラベル」「ベートーベン」の表記も元のままだ。
1月15日(祝)2時
東京文化会館=プログラムA
バッハ: イギリス組曲 No.2 イ短調 WV807
シューマン: ソナタ No.2 ト短調 作品22
リスト: 葬送曲
ラベル: 水の戯れ
ショパン: バラード 変イ長調 作品47
ショパン: 2つのマズルカ
ショパン: スケルツォ変ロ短調作品31
1月19日(月)7時
東京文化会館=プログラムB
バッハ: パルティータ No.2 ハ短調 BWV826
ベートーベン: ソナタ No.28 イ長調 作品101
シューマン: 子供の情景 作品15
プロコフィエフ: ソナタ No.7 変ロ長調 作品83
2月4日(水)7時
厚生年金会館=プログラムC
バッハ: トッカータとフーガ
ベートーベン: ソナタ No.21 ハ長調 作品53「ワルトシュタイン」
ドビュッシー:「版画」より 1. 塔 2. グラナダの夕暮 3. 雨の庭
ショパン: ソナタ ロ短調 作品58
嗚呼、と深く溜息をつく。もしもタイムマシンで半世紀前に戻れるものなら、戻って三日間の演目を漏れなく聴きたいものだ。
プログラムには1965年のコンクールの覇者らしくショパンが中心に据えられているが、そればかりでなく、どの日にも彼女が愛してやまないバッハが冒頭を飾り、後年ほぼ弾かなくなったベートーヴェンや、スタジオ録音を残さなかったリストの《葬送曲》やドビュッシーの《版画》、それにプロコフィエフの第七ソナタまで含まれる。
同じチラシからチケットの価格設定も書き写そう。
A ¥2800 B ¥2300 C ¥1800 D ¥1300 E ¥800
これが現今のいくらぐらいに該当するのかは判断に苦しむが、同じ1970年春に行われたパリ管弦楽団の初来日公演チケットが4500~2000円、カラヤン&ベルリン・フィル公演では6000~2000円に設定されているところから類推すると、現今のレートに変換して、
A ¥10000 B ¥8000 C ¥6000 D ¥4500 E ¥2700
あたりに換算されるのではなかろうか。もっとも当時からLPレコードは一枚2000円だったのだから、2800~800円はどうにか貧書生にも手の届く価格設定だったのかもしれない。
やがて1980年代に彼女がきっぱり独奏会から身を引くことが予めわかっていたなら、万難を排して小遣いを前借りし、親を拝み倒してでも三日間すべてのチケットを購入したであろう。まあ今さら何を言っても空しいのであるが。
少し迷った末、初日の「プログラムA」に決めたのは、ショパンがいろいろ聴けること、鍾愛の《水の戯れ》が含まれていること、そしてなにより当日が「成人の日」のマチネ公演なので、田舎の高校生が出かけやすいのが決め手となった気がする。
この時点で小生はシューマンの第二ソナタも、リストの《葬送曲》も知らなかった。今だったら「未知の曲が楽しみ」とばかり出向くだろうが、当時の小生はそんな消極的な受け身の姿勢には我慢がならず、わざわざ上野の東京文化会館の音楽資料室で予習した。
別の手控え帖をみると、万全を期してシューマンはスヴャトスラフ・リヒテル、リストはウラジーミル・ホロヴィッツのレコードをそれぞれ試聴している。なんたる勉強熱心! 爪の垢を煎じて飲みたいほどだ。