1958年12月、歌劇《ペレアスとメリザンド》の日本初演をほとんど独力で実現させた古澤淑子は、もっぱらドビュッシーの声楽曲の名解釈者として、伝説のように語り継がれてきた。ただし、遺された正規音源はフランス留学の仕上げに、1952年パリで録音されたドビュッシーの《ビリティスの三つの歌》と《忘れられた小唄》(仏Ducretet Thomson)のほかは、わずかな数のSPとフォノシートしか存在せず、彼女の実態ははるか彼方に霞む蜃気楼さながら朧げである。これまで私家盤として流通した二、三のCDも、その歌唱をつぶさに伝えるものとは云いがたかった。
第二次大戦を挟む十五年の留学で、古澤淑子がドビュッシーに留まらず、古くは17世紀のバロックから同時代音楽に至るフランス歌曲の全体像を把握していた事実は、帰国直後に彼女が開催した「帰朝第一回独唱会」(1952年9月18日)での、リュリ、クレランボー、ラモーからフォーレ、ドビュッシー、アーンを経てメシアンに至る意欲的なプログラムからも明らかである。
彼女はパリで師事したクレール・クロワザや、間近に接したジャーヌ・バトリの先例に倣い、同時代の作曲家と近しく交わり、その新作をレペルトワールに含めることにも努めて意欲的だった。再びフランスへ赴く直前の「渡仏記念独唱会」(1957年9月24日)では、ビゼー、フォーレ、ドビュッシーと並んで、深井史郎、箕作秋吉、別宮貞雄、諸井誠らの歌曲を披露している。彼女が伴侶とした倉知緑郎もまた、戦前に将来を嘱望された作曲家だったのである。
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このアルバムには彼女が自らのスタジオで催した全百十回に及ぶ「フランス音楽鑑賞会」例会を記録した膨大な録音テープから、保存状態のよいものを選りすぐり、CD一枚にまとめたものである。
ドビュッシーが初期歌曲に集中しているのは、九曲中の六曲までが第十三回例会「若き日のドビュッシー」で歌われた音源であるためだ。驚いたことに、この会(1962年6月2日、明らかに作曲家の生誕百年を記念したもの)ではわが国におけるドビュッシー演奏の濫觴である大田黒元雄が招かれて、講師を務めたのだという。大田黒と古澤――ドビュッシー受容史上の立役者ふたりが同じ舞台に並ぶ機会があったとは、目も眩むような出来事である。
それらドビュッシーの歌曲を聴けば明らかなように、古澤淑子の歌唱は噂にたがわず素晴らしさだ。清楚で気品のある声はパリで録音した《ビリティスの三つの歌》でも聴きとれた特色だが、十年を経て歌い回しに余裕と安定、共感の深さが加わるとともに、ほどよいコケットリーすら漂わせる。体得したフランス語のディクシオンの良さは申すまでもあるまい。
さらに目を瞠ったのは、プーランクの歌曲で彼女が紡ぐ、思いもよらぬ多彩な表現である。《小さな小間使い》での少女らしい無邪気な心の揺らぎ、《動物小曲集》でのとぼけた諧謔味、《消えた男》の平明な哀しみ。
とりわけ《よしなし草(バナリテ)》の各曲での歌い分けの妙といったら! 憂愁、鬱屈、夢想、快活、歓喜・・・。古澤淑子がここまで芸の幅が広く、変幻自在に表現する歌い手だとは知らなかった。この歌唱を生前のプーランクに聴かせたかった。
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本アルバムではサティ、ラヴェル、アーンとともに、ルイ・ベーツ(古澤は日本での初リサイタルでもベーツ作品を歌った)、マルグリット・カナル(パリ音楽院での恩師のひとりで、古澤の伴奏ピアノを弾いたこともある)、トニー・オーバン(矢代秋雄、黛敏郎の師)らの珍しい同時代歌曲が歌われるのも聴きものだが、末尾に収められたマニュエル・ロザンタールの愉快な歌曲集《ブルー氏の歌》が個人的には最も嬉しかった。
古澤がこのように軽妙洒脱な音楽を歌いこなすのは意外な驚きだが、各曲の前に彼女は歌詞の和訳を朗読しており、その日本語の語り口の上品なユーモアに魅了されたからだ。音楽と歌詞の深い結びつきを理解し、語りかけるように歌うことのできた稀有な声楽家だったのである。