つれづれなるままに読書。必要に迫られてリヒャルト・シュトラウスとバレエ音楽に関する(おそらく唯一無二の)研究書を少しずつ読み進めている。なにぶん全く不案内の方面なので、未知な事実ばかりで面白い、というか、おのれの無知蒙昧に驚き呆れるほかない。ここで得た新知見に基づきながら拙論を組み立てるのは夏の終わり頃になろうか。年寄りの冷や水と笑われようが、初心に戻って何事もまた勉強なのだ。
そんなわけで、読書のお供もシュトラウスのバレエ音楽である。彼が生涯でただ一度、ディアギレフのバレエ・リュスのために作曲した《ヨセフ伝説 Josephs Legende》を久しぶりに聴く。
〈R. シュトラウス《ヨゼフの伝説》若杉弘=都響〉
シュトラウス:
バレエ《ヨセフ伝説》作品63
若杉 弘 指揮
東京都交響楽団
1987年7月31日~8月2日、狭山市市民会館
日本コロムビア DENON 33CO-2050 (1988) ⇒アルバム・カヴァー
ハリー・ケスラー伯の原案により、彼とフーゴ―・フォン・ホフマンスタールが合作した脚本に基づき、円熟期のリヒャルト・シュトラウスが満を持して作曲する。バレエを振り付け、主役のヨセフを踊るのは言うまでもなくバレエ・リュスの花形ワツラフ・ニジンスキー、相手役のポテパルの妻にはイダ・ルビンシュテインに特別出演を依頼してある。これこそ二年前の《牧神の午後》、前年の《春の祭典》をも凌駕する世紀の大スペクタクルになるに違いない。注文主のディアギレフはひとりほくそ笑んだ――シュトラウスの新作の世界初演とともに、今こそわがバレエ・リュスは全ヨーロッパの音楽界に君臨し、その頂点に立つことになろう。
ところがどうだ、シュトラウスの作曲は容易に捗らず、中途でケスラー伯から忠告されて全面的な書き直しを余儀なくされた。そうこうするうちにニジンスキーは結婚問題でディアギレフの逆鱗に触れてバレエ・リュスを解雇、ルビンシュテインの客演も白紙に戻り、作曲者を指揮台に迎えてどうにか上演に漕ぎつけたパリとロンドンでの初演の舞台は、当事者たちが望んだ成功とは程遠かった。
1914年6月23日、ドルーリー・レイン劇場で《ヨセフ伝説》のロンドン初演を観た大田黒元雄は当夜の日記に忌憚なくこう記す。
「ヨゼフ物語」は今夜が倫敦での初演だ。此れは全体から云つて実に雄大な失敗だと思はれる。総べてが何でも雄大だ。背景も衣裳も音楽も。それで居て内容がすこし空虚過ぎる事を人に感じさせる。其の第一はシュトラウスの音楽だ。
肝腎のヨゼフはレオニード・ミアシンといふ若い男が踊つたけれど、格別の事はなかつた。
極東の島国から留学した二十二歳の若輩者にかくも完膚なきまでに貶されては、天下のシュトラウスも形無しである。