2019年7月9日、とうとうこの日がやってきた。きっかり五十年目の記念日が。といっても誰かの誕生日や命日ではない。全く個人的な、他の誰にも無関係な、自分にしか意味のない記念日なのだ。だから自分ひとりでひっそりと祝う。
今からちょうど半世紀前、すなわち1969年7月9日、小生は生まれて初めてLPレコードを購入した。今に至る悪癖の始まりといってしまえば身も蓋もないが、とにかく身銭を切って音楽を所有する歓びをこのとき知った。
ここで何度か取り上げた話題ではあるが、せっかく節目の日を迎えたのだから、今一度その事の次第を書き留めておこう。呆け防止にも少しは役立つだろう。
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つらつら過去を省みるに、最も純真に音楽と向き合ったのは中学から高校にかけての数年間だったように思う。あたかも餓え渇いた者のように、来る日も来る日も朝から晩までとにかく聴き続けた。その熱烈さたるや、今の数十倍の貪欲な吸収力だったと思う。未知の音楽と出逢う愉しさに心ときめかせた。
初めは初心
(うぶ)で純真なポップス少年、やがてクラシカルに転向し、憑かれたみたいに聴き狂った。ただし実演などは夢のまた夢、LPレコードを買おうにも再生装置が家にはなかった。早朝から深夜まで毎日ひたすらトランジスタ・ラジオに齧りつき、曲目や演奏者名を詳しくメモしつつ全部の番組を傾聴した。中学でも高校でもまともに受験勉強をした記憶がない。
そうこうするうち無性にレコードが欲しくなってきた。鍾愛の曲を好きな時に好きなだけ聴けたら、どんなに素晴らしいだろう。もっともまだ家にはプレイヤーが存在せず、LPを買っても宝の持ち腐れになるとわかっていても、どうしても欲しくて、小遣いを溜めて上京し、秋葉原の日の丸電気のLP売場に赴いた。1969年7月9日、高校二年の初夏のことである。
そのとき定めた方針はただひとつ。鍾愛の音楽のなかで、ラジオ番組では滅多にかからない楽曲を架蔵すること。それなりに理に適った判断である。だからショパンのピアノ曲やらベートーヴェンやブラームスの交響曲には目もくれない。
さんざん迷った末、これにしようと事前に決めたのはアレクサンドル・グラズノーフ(当時は「グラズーノフ」と誤記された)のバレエ音楽《四季
Времена Года》。優美で抒情的な旋律と精緻なオーケストレーションで知られる佳曲だが、新参者が最初に手にするにはいささか穿ちすぎた選曲だろう。
赴いたレコード売場には硝子板で区切られた陳列台が並び、厖大な数のLPがジャンル別、作曲家の五十音順に整然と配架されていた。その数の多さに目が眩む思いがした。
逸る心を鎮めながら探し始めると、目指すレコードは呆気ないほど簡単に見つかった。なにしろ店頭にその曲のLPはニ種類しかなかったのだ。迷う必要なんてない。どちらかを選べばいい。
■ エルネスト・アンセルメ指揮 スイス・ロマンド管弦楽団 (1968発売、ロンドン)
■ ボリス・ハイキン指揮 モスクワ・ラジオ交響楽団 (1967発売、新世界) 実のところ迷う理由などなかった。ラジオで何度か耳にして魅せられたのはソ連の指揮者ハイキンの演奏だったからである。モスクワはボリショイ・バレエの本拠地。まさしく本場物に違いなく、流麗で躍動感に満ちた演奏はまだ観ぬ舞台を彷彿とさせる。現場をつぶさに知る者のみがなし得る老練な解釈だったのである。
ところがいざ実物を前にすると大いに逡巡した。
もう一方のアンセルメは高名な世界的巨匠である。前年の1968年夏に手兵と共に来日し、その折の実演はTV中継された(《幻想交響曲》。老齢のため両腕が肩より上に挙がらず、落魄の指揮姿に失望した)。ところがその記憶がまだ鮮やかな翌69年2月、卒然と世を去ったことから、改めてその偉業が再認識される只中でもあった。何しろ往年のバレエ・リュスの指揮者であり、当時の日本では「バレエの神様」(!)として神格化されていた。手に取ったアルバムは前年に出た新録音で、「来日記念盤」の文字を大書した襷が麗々しく掛かっていた。
片やハイキンはといえば全く未知の存在。実際はソ連オペラ界の重鎮であり、赫々たるキャリアを誇る名指揮者なのだが、国外での知名度は昔も今も極めて低い。
《四季》はその彼が劇場指揮者としての豊富な経験を披歴した、数少ないステレオ録音だった。だが田舎者の高校生はあまりにも無知だった。
両面にゆったり《四季》全曲のみを収めたハイキン盤に対し、アンセルメ盤には附録として《演奏会用ワルツ》なる未知の小品二曲が追加されていて、いかにも割得感を醸していた。一枚二千円のLPは高校生には高額の買物であり、一曲でも多く聴けるほうが嬉しい。結局これが決め手になって、小生はこちらをレジに持参してしまったのである。
《グラズーノフ/バレエ音楽〈四季〉 アンセルメ》
グラズーノフ:
バレエ音楽《四季》
演奏会用ワルツ 第一・二番
エルネスト・アンセルメ指揮
スイス・ロマンド管弦楽団
ロンドン SLC 1684 (1968)
→アルバム・カヴァー 大切に持ち帰ったLPを数日後に叔父の家で試聴させてもらった。溜息の出そうな美しい演奏である。半世紀後にCDで聴き返しても、やはり同様に感じる。
流石にアンセルメは巧い。淀みのないリズム感が抜群だし、綾なす色彩を自在に操る手腕は最晩年まで(少なくとも録音スタジオでは)健在だった。グラズノーフの管弦楽法の秘術を余す処なく開陳した稀代の名演──手放しで絶賛したいところだが、ここには肝腎な何かが足りない、幼稚な耳でもそう直覚した。
アンセルメの《四季》に微かな不満を覚えたのは、つまりハイキン盤との差異に気付いたことを意味する。
とりわけ最後の「秋」のバッカナール(曲中で最も名高い箇所)に両者の違いは顕著である。アンセルメの演奏は驚くほど快速で颯爽と駆け抜けるが、ハイキンのほうはテンポをぐっと制御し、威厳に満ちた確固たる足取りで、じかに大地を踏みしめるという感じがする。どちらが正しい解釈という話ではないのだが、根源的な生命力の発露という点で、二つの演奏はまるで月と鼈さながら。アンセルメ盤は如何にも綺麗事に過ぎない気がする。ハイキンではごく自然に湧き出ていた何かが、アンセルメには決定的に欠けていて、そこにこそ物足りなさが由来するのではないか──と、まあ、子供心にもそんな感慨を抱いたものである。
今だったらこうも云えるだろう。それこそが伝統の力というもので、生粋のロシア人と非ロシア人の演奏の間にはやはり越えがたい溝があるのだ、と。若き日にバレエ・リュスの専属指揮者としてロシア音楽に親炙したアンセルメですら、もって生まれた敏捷で感覚的なラテン気質から離れられなかったのである。
かてて加えて、アンセルメはバレエ《四季》の上演を振った経験は一度もなかったのではないか(同バレエは本国以外では「バッカナール」を除いてほぼ上演機会がない)。ならばなおのこと、彼は自らの感覚だけを頼りに、曲全体を四部構成の交響的描写音楽といった趣で解釈するほかなかったのだ。