1978年秋から二年間、東京大学の駒場キャンパスにある大学生協でアルバイトとして働いた。たまたま配属されたのがプレイガイドだったのは僥倖というほかない。業務は映画・演劇のチケット販売、DPE(フジ、サクラ、コダック)の受付、葉書・名刺などの印刷、自動車教習所の斡旋、セルフのコピー機の管理など多岐にわたり、昼休みなどは目の回る忙しさだったが、接客がよほど向いていたのだろう、遣り甲斐のある楽しい仕事だった。
プレイガイド担当にはいろいろ余禄もあり、なかでも映画配給会社から新作の試写会の招待状が貰えるのが嬉しかった。ヴィスコンティの《イノセント》、ベルトルッチの《暗殺のオペラ》と《ルナ》、ファスビンダーの《マリア・ブラウンの結婚》、フェッリーニの《オーケストラ・リハーサル》など、仕事帰りに試写会で観た外国映画は枚挙に暇がない。
だが、なんといっても最大の恩恵は次の予期せぬ出来事だろう。
あれは1980年1月のことだった。毎月のコピー機の点検で顔馴染になった富士ゼロックスの営業マンから、「弊社がこんな雑誌を出しているので、試しにお持ちしました」と綺麗な表紙のPR誌を手渡された。一辺二十四センチの正方形をした『グラフィケーション』という月刊誌である。
この一冊がわが人生を変えた、といったら大袈裟かもしれないが、少なくともその後の生き方を方向づけたことは確実である。
『グラフィケーション』は当時の大企業がこぞって出していたPR誌のひとつであり、他の雑誌と同工異曲、毎号さまざまに小特集が組まれ、そのテーマにそって各界の著名人がエッセイを寄稿するという内容だった。ちなみにその号は「特集 市の思想」と題されていた。
ありがたく頂戴して、試みにページを捲っていたら、特集とは別の扱いで「トイ・ブックスの周辺」という面白そうな文章に出くわした。新連載の第一回とある。奇しくもその号から小野二郎の連載「レッサーアートの栄光」がスタートしたのである。
小野二郎がどういう人物か、皆目わからぬままに、19世紀中頃の英国で多色刷の木口木版画が勃興し、ウォルター・クレインの絵本が登場するまでを委曲を尽くし具体的に語る文章に惹き込まれた。それからというもの、ゼロックスの営業マン氏の毎月の来訪を心待ちにしたものだ。
今も手元にある『グラフィケーション』誌から、連載「レッサーアートの栄光」の題名を列挙してみよう。
1980年1月号 ①トイ・ブックスの周辺――エドムンド・エヴァンズのこと
1980年2月号 ②十九世紀の版画工房――W・J・リントンのことなど
1980年3月号 ③クレインの装飾性
1980年4月号 ④ミュージック・ホールの源流
1980年5月号 ⑤ミュージック・ホールの誕生
1980年6月号 ⑥ミュージック・ホールの天才 マリー・ロイド
1980年7月号 ⑦ブロードサイド物語
1980年8月号 ⑧チャップ・ブックの伝統
1980年9月号 ⑨端物印刷物(プリンテッド・エフェメラ)の世界
1980年10月号 ⑩スタフォードシャ人形のユーモア
1980年11月号 ⑪コッツウォルド・ストーン
1980年12月号 ⑫リンディスファーン福音書(ゴスペルズ)――彩飾写本の原型(1)
1981年1月号 ⑬彩飾文字――エディトリアル・デザインの原点
1981年2月号 ⑭カリカチュアとイラストレーションの間――ジョージ・クルックシャンクのこと
1981年3月号 ⑮イギリス大衆漫画事始
1981年4月号 (最終回) ベーコン・エッグの背景連載名にある「レッサーアート(lesser art)」とはウィリアム・モリスが使い始めた言葉で、「小芸術」というほどの意味。聖堂や宮殿や美術館に並ぶ「大芸術(greater art)」の対極にあるものだ。広く「民衆芸術」や「装飾芸術」を含み込む概念である。
つまり、この連載の背後にはウィリアム・モリスの思想が控えており、著者の長きにわたるモリスへの傾倒の副産物として生まれたものだ。だが、藪から棒に出くわした小生には、当時そこまではわからない。細部への尽きせぬ愛と該博な知見に満ちた文章を通じて、未知の英国文化へと導かれる歓びをひたすら味わっていたのである。
小野二郎の連載がなにより目覚ましいのは、ウォルター・クレインの色刷木版の絵本「トイ・ブック」が生まれるまでの経緯を委曲を尽くして物語った(①~③)あと、いきなり話題を英国のミュージック・ホールへと転じ、その発生から隆盛までが具体的に跡づけられる(④~⑥)。そのあと、話題は再び印刷物に戻り、クレインの絵本の祖型にあたる民衆本の世界へと誘われる(⑦~⑨)。
一見したところ唐突な展開であり、わがままな構成に見えなくもないが、連載の読者として違和感を覚えた記憶は一切ないのは、題材の面白さや練達の語り口もさることながら、それら話題の背後にある民衆芸術の広がりが常に意識されていたからだろう。すべてを包含する「レッサーアート」という概念に、知らず知らず蒙を啓かれたということになろうか。
(次回へつづく)