小生の場合は、池袋にあった西武美術館(セゾン美術館の前身)で1987年に催された「芸術と革命 Ⅱ」展で、スプレマチズム絵画ではなかったのですが、マレーヴィチの初期作品が一点だけ並んでいるのを観たのが、おそらく最初の実見体験だろうと思います。その記憶はもはや曖昧ですが(なにせ三十年以上前だし、数百点も並んだ大展覧会でした)、縦長のキュビスム風の静物画で、《サモワール》と題されていた。ふうん、こんなものか、ピカソやブラックの模倣ではないか、と思って、チラと瞥見しただけで通り過ぎました。もっとちゃんと観ておけばよかったと悔やんでも、もう後の祭り。
今回のレクチャーのために少し調べたら、わが国で初めてマレーヴィチ作品が展観されたのは、これより三年前の1984年秋、東京国立近代美術館と札幌の北海道立近代美術館で催された「構成主義と幾何学的抽象」という展覧会だったらしい(これは観ていません)。米国のマクローリー・コーポレーションという会社の抽象美術コレクションを公開したものです。
この展覧会にはマレーヴィチの油彩画一点と素描三点、それに書物挿絵(版画)が出品されており、そのなかの油彩画がこれまた《サモワール》と題されていた。これこそが日本人の前で最初に展示されたマレーヴィチ作品らしい。
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さて、このあとの話は昨日のレクチャーとも重複するのですが、1984年、1987年それぞれの展覧会でもたらされた二枚の《サモワール》は、どちらも1913年の作。カタログの図版(前者は上下逆さに掲載されているのに要注意)を見較べると、絵柄はそっくりなのですが、明らかに別作品です。そもそも前者は米国の企業コレクション、後者はロシアの古都ロストフ・ヤロスラフスキーの美術館からはるばる招来されたもので、出自がまるで異なる。
ところが面白いことに、これら二点の《サモワール》は、ともに 88 × 62 cm とサイズが全く同一なのです。
リンク先の画像(→ここ)に二つ並べたうち、左がロストフ・ヤロスラフスキー美術館所蔵の《サモワール》、右が米国のマクローリー・コーポレーション所蔵の《サモワール》。たしかに描かれた図柄はよく似ていて、サイズも同じとなれば、瓜二つの双子同士の作品といえそうです。
ここからは昔たまたま読んだアレクサンドラ・シャツキフ女史の雑誌記事から得た伝聞情報なのですが、西武美術館にロストフ・ヤロスラフスキー所蔵《サモワール》を送り出す際、作品を点検したモスクワの担当者は、その出来の悪さに驚いたという。画面の仕上げが全体に雑だし、テクスチャーもなんだか汚らしい。これが本当にマレーヴィチの作品なのか訝しく思ったものの、当作品は1922年からずっとロストフ・ヤロスラフスキー美術館に収蔵されてきた由緒正しい絵。永らく展示こそされていないものの、来歴は一点の曇りもなく明らかな作品なので、そのまま日本に貸し出したということです。
下の画像で見ても、左の絵の仕上げの粗さは明らかであり、各部分がバラバラで、全体を統御する力を欠いています。それは兄弟作品である右の《サモワール》と見較べると一目瞭然でしょう。米国にある絵のほうが遥かに完成され、隅々まで入念に塗られ、画面が綿密に構成されているのがわかる。言い添えておくと、この絵は所蔵者の手を離れ、1983年からはニューヨーク近代美術館に収蔵されています。日本で展観された1984年にはすでにMoMAの所蔵作品だったのでしょう。
この一連の不可解な事実を、シャツキフ女史はこう解釈します。
肝心の雑誌が手元にないので記憶だけで要点を記すと、このニューヨークにある作品こそがマレーヴィチが1913年に描いた《サモワール》であり、元々ロストフ・ヤロスラフスキー美術館に収蔵されていた現物にほかならない。ところがあるとき(たぶん1950年代から70年代までのどこか)関係者の誰かが密かに美術館の収蔵庫に忍び込み、あらかじめ拵えた同寸の模写とマレーヴィチ作品とをこっそりすり替え、真作のほうを持ち出したらしい。その時点でマレーヴィチ作品には展示の機会はあり得ず、マレーヴィチ研究者もいなかったから、このすり替えの事実は容易に露見しないはずです。
なぜこんな悪事を企んだかといえば、西側諸国ではマレーヴィチらロシア・アヴァンギャルド絵画の再評価がすでに萌しており、作品には相応の価格がつき始めていたからです。トランクに潜ませて税関をすり抜け、この絵を海外に持ち出せば一獲千金の夢が叶う。ロシア国内では無価値なガラクタでも、欧米では高価なお宝――ソ連の文化抑圧政策が生み出したこの歪み、この不均衡状態が、かかる信じがたい犯罪を招いたのです。
この盗難事件は長く明るみに出ませんでした。1987年に日本の展覧会に出品すべく、ロストフ・ヤロスラフスキー美術館の収蔵庫の奥から《サモワール》が運び出され、点検されるまでは。いや、そのときですら、悪事は露見には至らなかった。専門家たちは初めて目にした作品の質の低さに戸惑いつつも、この《サモワール》を真正なマレーヴィチ作品として西武美術館に貸し出したのですから。
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このシャツキフ女史の投稿記事を読んで、当時まだ美術館の学芸員だった小生は背筋がぞっと寒くなったのを憶えています。
ロシア・アヴァンギャルドの作品なら贋作が作りやすい。レオナルドやフェルメールの贋作だったら、それなりの超絶技巧が必要不可欠でしょうが、単純な幾何学的抽象だったら、少々絵の心得のある人間なら、誰でも似たものが描ける。おまけに、本国ソ連では長くそれらの研究は途絶えていて、展示すらされてこなかった。贋作者のつけ込む隙だらけなのです。
翻ってわが美術館が所蔵するマレーヴィチ作品は大丈夫なのか? 間違いなく本人の作だという証拠はあるのだろうか? 胸の内に沸き起こった、この拭いがたい疑念から、小生の長きにわたるマレーヴィチ探索が始まりました。最初にまず疑いありき。そういっても過言ではありますまい。