1930年ボストンでの世界初演の翌年にパリ初演され、ほどなく同メンバー(アルベール・ヴォルフ指揮ラムルー管弦楽団)による初録音(1932年)が世に出たというのだから、アルベール・ルーセルの第三交響曲の滑り出しはこのうえなく順調にみえた。
思うに20世紀の交響曲でここまで幸運の女神に祝福された例はそうそう多くはあるまい。なにしろとっつきにくい現代音楽なのだから。
ところが不可解なことに、ヴォルフ盤が好評だったにもかかわらず、これに続くレコードが一向に現れなかった。驚くべきことに、フランス国内でルーセルの《第三》の二番目の録音がなされるのは、それから実に三十三年後の1965年――アンドレ・クリュイタンスがパリ音楽院管弦楽団を指揮したあの有名な録音――だというのだから驚きを通り越して、開いた口が塞がらない。
どうしてこんなことになったのか。
フランクの交響曲やサン=サーンスの《第三》と並び称されるフランス交響曲の最高傑作がどうしてこんな仕打ちに遭わなければならないのか。理不尽にもほどがある。
ルーセルの死後その名声に恐らく翳りが生じたこと、フランスのレコード産業の不振、第二次大戦の被占領時代に蒙った影響など、原因はいくつか考えられるものの、戦後になってLPが広く普及する百花繚乱の時代にも新録音が一向になされなかった理由は今もって不明というほかない。
その間に、フランス国外では
■ エルネスト・アンセルメ&スイス・ロマンド(1956)
■ レナード・バーンスタイン&ニューヨーク・フィル(1961)
■ ヴァーツラフ・ノイマン&ブルノ国立フィル(1963)
といった具合に、ルーセル《第三》のステレオ録音が続々と登場している。その間ずっと手を拱いていたフランスのレコード業界はよほどどうかしている。まるでどこかの島国みたいである。
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それにしても1932年収録のヴォルフ盤と1956年収録のアンセルメ盤との間には二十四年もの空白期間がある。いくら第二次大戦が挟まっているとはいえ、四半世紀もの長きにわたってルーセルの《第三》の新録音は本当に一度も現れなかったのだろうか?
実をいえばその間隙を埋める一枚の忘れられたLPが存在する。
戦後ほどなく米国で雨後の筍よろしく群小レーベルが誕生し、敗戦国であるドイツとオーストリアの放送局の録音テープを安価で買い上げ、競って音盤化した事実は良く知られているが、そのなかの一社 Urania(ユレイニア)がドイツの放送音源を用いてルーセルの第三交響曲のLPを出しているのである。
ルーセル:
交響曲 第三番*
バレエ組曲《バッカスとアリアーヌ》第二番**
エルネスト・ボルサムスキー指揮
ライプツィヒ放送交響楽団*
カール・ルフト指揮
ベルリン放送交響楽団**
録音時期未詳 *1940年代末?
Urania URLP 7037 (1952) →アルバム・カヴァー
戦後の混乱期のドサクサに紛れて東ドイツのオーケストラがなぜか慣れないフランスの交響曲をラジオ放送のために採り上げた――そんなところだろうか。一向に食指が延びない録音でありディスクである。
ところがどうだ! これが思いがけず飛び切りの秀演なのである。
実を言えば当LPを架蔵していない。まるで期待できそうになく、見つけてもこの手の初期LPは盤質が劣悪なことが多いからだ。
ところが半年ほど前、Classical Recordings Quarterly Editions(同名の季刊誌が創立したレーベル)がかつて出した覆刻CD(CRQ CD097)をオークションで手に入れ、試しに聴いてみて心底たまげたのである。
とにかく全体に気迫が籠っていて、緊張感が途切れない。ドイツの楽団らしく響きが分厚いのもルーセルの交響曲に相応しい。重厚な演奏であるが、鈍重なところは微塵もなく、よく弾むリズム感や強靭な推進力は、アルベール・ヴォルフの初録音をむしろ凌駕している。
戦後から間もない困難な時期だったにも関わらず、ライプツィヒ放送交響楽団の技量はきわめて高く、ユニゾンの迫力も、各楽器のソロも、パリの楽団の緩いアンサンブルとは比較にならない。オーケストラの格が段違いなのだ。
ところでエルネスト・ボルサムスキー(Ernest Borsamsky)なる馴染のない指揮者は果たして何者だろう?
これに答えるのは至難の業である。生歿年や経歴はおろか、国籍すら判明しない謎の指揮者なのだという。いかなる人名辞典にも音楽文献にも名前が出ておらず、実在すら疑われてきた。すなわち誰か別人がなんらかの事情から(契約上の縛りからとか、親ナチの過去ゆえ実名で活動できないとか)変名で指揮した一例ではないかというのである。
Urania 社では1950年代初頭このボルサムスキーをしきりに重用しており、マーラーの《巨人》、ショスタコーヴィチの《第五》、ドビュッシー《海》、ストラヴィンスキー《火の鳥》組曲といった重要なレパートリーを彼に委ねている。しかもすべてが堂々たる名演なのだから始末が悪い。
ボルサムスキー名義の録音にはチャイコフスキーの《フランチェスカ・ダ・リミニ》やラヴェルの《ラ・ヴァルス》もあり、これらも出色の仕上がり。熱と気迫が籠っていて、しかも音楽の骨格が崩れない。これこそ大物指揮者である証であろう。独墺物に加えて、ロシアやフランスの音楽も得意とし、それぞれの様式感を巧みに踏まえつつ、巨匠的な解釈を惜しみなく披瀝する(まるでカラヤンのように!)ボルサムスキーとは一体全体どこの誰なのか?
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以下はネット上で見つけた諸家の所説からの受け売り。真偽のほどは保証しない。
エルネスト・ボルサムスキーは本名を Ern(e)st Eichel といい、ウクライナのガリツィア地方サンボル(Sambor)の出身。ウィーンとケルンで学び、ルクセンブルクの管弦楽団でヴァイオリン奏者を務めていたが、時に指揮台に立つこともあったという。第二次大戦後に客演で訪れた指揮者アーベントロートに指揮の才能を認められ、ライプツィヒに招かれたのち、ベルリンなどドイツ各地の管弦楽団を指揮した(1949年にはベルリン・フィルも振った由)。
ドイツで指揮者として活動するにあたり、彼は出身地名Samborのアナグラム "Borsam" にスラヴ的な "-sky" を付けた芸名「ボルサムスキー」を名乗ったらしい。1956年にドレスデンのオーケストラを指揮したが、その後の消息は杳として知れないという。彼の写真は一枚も確認されない。