指揮者セルゲイ・クセヴィーツキー(セルジュ・クーセヴィツキー)は、自ら常任指揮者を務めるボストン交響楽団が創立五十周年を迎える1931年を期して、錚々たる世界的な作曲家たちに新作を委嘱した。その結果として生まれた楽曲は以下のとおりである。
まことに凄いラインナップというほかない。発注の際に「交響曲の新作を」という条件の提示があったらしく、見事に交響曲ばかり並ぶが、滅多に聴けないハンソン作品を例外として、どれも両大戦間を代表する傑作ばかりなのに驚かされる。さすがクセヴィーツキーは真の実力者だわいと感心する。
一般にはストラヴィンスキーの《詩篇交響曲》が名高かろうが、交響曲としての充実度という点ではルーセルの第三交響曲が一頭地を抜き、他を圧しているように思うのは、贔屓の引き倒しだろうか。
ルーセルの交響曲 第三番 作品42 は1929年から30年にかけて作曲され、来るべき記念年を待たずして、1930年10月24日にクセヴィーツキーの指揮のもとボストンのシンフォニー・ホールで世界初演された。
残念なことに、クセヴィーツキーはこの曲の録音を残していないから、どんな演奏だったかは全く想像できないが、招かれてボストンで初演を聴いた作曲者は、この曲がそれまで作曲した全作品のなかで最もうまく書けた傑作であると自ら悟ったというから、それなりの秀演だったのだろう。
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世界初演から約一年を経た1931年11月28日、ルーセルの第三交響曲はパリで欧州初演された。このときにタクトを執った指揮者はアルベール・ヴォルフ(Albert Wolff, 1884–1970)。オーケストラは彼が前任者ポール・パレーの後を受けて1929年から常任を務めていたラムルー管弦楽団(L’Orchestre des Concerts Lamoureux)である。
ヴォルフは今日では半ば忘れられかけているが、1920年代からパリ楽壇の中枢に身を置き、オペラ、オーケストラ双方の分野で目覚ましい活躍をした。同時代の音楽とりわけルーセル作品の演奏に力を注ぎ、彼の《詩篇 第八十篇》(1929)と第四交響曲(1935)の世界初演を手がけた。恩義を感じた作曲家は後者をヴォルフに献呈している。
そのアルベール・ヴォルフがラムルー管弦楽団を指揮したルーセルの第三交響曲の録音が残されている。収録は1932年というから、クセヴィーツキーの世界初演から二年、ヴォルフ自身によるパリ初演からは一年しか経っていない。正真正銘ゲンダイオンガクの果敢な録音である。
原盤は仏Polydor のSPである。片面の収録時間四分から四分半という制約から、六面にわたって刻まれている(原盤番号2.068/70/74/72/83/84 BMP)。むろん架蔵しないが、幸いなことに1994年にヴォルフ&ラムルー管弦楽団のSP録音集成 "Un Panorama de la Musique Symphonique Française" 4CDsが出たとき、二枚目の冒頭に良好な音で覆刻された(仏Timpani 4C4024)。
電気吹込の初期の歴史的録音だからルーセルの複雑で重層的な管弦楽法がどこまで再生されるのか、恐る恐る聴き始めたのだが、心配はすぐに杞憂とわかった。もちろん現今の鮮明でクリアなディジタル録音とは程遠いものの、ルーセルが意図した重厚な響きがそれなりに聴こえてくることに安堵した。ちゃんと音楽を愉しむに足る音質なのである。
のちに現れるシャルル・ミュンシュの劃期的な演奏に親炙した世代からすると、いささか緊密度と凝縮性に乏しいきらいはあるものの、過不足ない推進力とリズミカルな魅惑をもった秀演といってよかろう。
アンサンブルの密度という点で今日のオーケストラとは比較にならないものの、ラムルー管弦楽は当時としてはよく健闘しており、弦楽器の明澄な響きに汲むべき良さがあるが、とりわけ木管と金管に往時のフランスならではの感覚的な閃きが随所に際立つ。
ヴォルフの解釈はどちらかといえば穏和さや愉悦感の表出に傾き、畳みかけるような切迫感には乏しいものの、どの楽章も好もしいテンポと古典的均衡が保たれており、初演から一年ほどで妥当な解釈に行き着いていたことがよくわかる。世界初録音でここまで規範的な演奏が成し遂げられた例はそうそう多くなく、ルーセル自身もさぞかし満足したことだろう。九十年近い時を経たとは思えぬ、今の耳にも掬すべき名演と感じられる。
本CDに収められた音とは状態が若干異なるものの、YouTubeでもこのアルベール・ヴォルフ指揮による初録音SPからの覆刻を聴くことができる。サーフェス・ノイズがカットされていない分、音の輪郭はこちらのほうが鮮やかかもしれない。ルーセルの最高傑作を語るうえで聴き逃せない稀有な演奏記録である。
https://www.youtube.com/watch?v=FueN8UAq5h4