知人たちの投稿記事によれば、今日の上野の山は花見と音楽祭とで大変な人出だったらしい。喧騒が苦手な老人にはとても耐えがたい環境だろう。
そんな折も折、東京文化会館の横手あたりでディアギレフのバレエ・リュスに関する野外パネル展示が行われていると聞き、たまたま出かけた友人にお願いして写真を撮ってきてもらった。
これは開催中の「東京・春・音楽祭」の十五周年を祝う目的で「音楽と舞踏~ストラヴィンスキーとバレエ・リュス」と題して、春の音楽祭⇒春の祭典という連想からバレエ・リュスを引き合いに出したものらしい。どうせならバレエ・リュス誕生百年の2009年か、《春の祭典》初演百周年の2013年にやって欲しかった気がする。いささか出し遅れの証文の感が否めない企てである。
さて、そのパネル展示だが、バレエ・リュスの二十年を通観せず、最初の五年間(第一期)のみにフォーカスして、名高い演目を踊るダンサーたちの写真二十点を蛇腹状に並べた、なんだか拍子抜けの内容である。
バレエ・リュスの最初の五年間(1909~1914)であるから、《パラード》も《結婚》も《三角帽子》も《牝鹿》も《青列車》も出てこない。おそらく著作権に抵触するのを恐れたからだろう。したがって踊り手も初期に集中し、レオニード・マシーンもセルジュ・リファールも登場しない。
まあ、それには目をつぶってもいいが、ニ十点のパネルのうち実に半数近い九枚までがミハイル・フォーキンとその妻ヴェーラ・フォーキナで占められているのがいかにも興醒めである。
フォーキンが初期バレエ・リュスを一手に担った振付家なのは言うまでもないが、ダンサーとしての彼をここまで重要視する理屈がわからない。《クレオパトラ》も《シェエラザード》もフォーキン夫妻の写真が麗々しく掲げられ、初演時にセンセーションを巻き起こしたイダ・ルビンシュテインが影も形もないのはどういうわけだ? 彼女こそは前者でタイトルロールを演じ、後者で愛妾ゾベイダ役を踊ってパリの観衆を呪縛したというのに!
ニジンスキーの当たり役だった演目《青い神》も、写真で示されるのはまたもやフォーキン。そもそもフォーキンがバレエ・リュスで《青い神》を踊ったのは、後にも先にもたった二回、ニジンスキー退団後の1914年3月11、13日、ベルリンの旅興行(テアター・アム・ノレンドルフプラーツ)だけなのだから、わざわざパネル化する意図がわからない。フォーキンは技量も体型も見劣りし、「神のように踊った」ニジンスキーとは較べるべくもない。
最も不可解なのはアンナ・パヴロワの扱いである。彼女は1909年のバレエ・リュス第一回パリ公演で《アルミードの館》と《レ・シルフィード》のみに出演後すぐに同団から離脱しており、彼女をここに登場させるなら上記の二演目の写真でなければならないはずだが、ここに掲げられたパネルはそのいずれでもなく、しかも肝心の演目名が記されない。
管見によればこれはグラズノーフのバレエ《四季》の掉尾を飾る有名な「秋のバッカナール」である。パヴロワが終生の十八番とした演目(来日公演でも踊った)に違いないが、彼女がこれをバレエ・リュスで踊った事実はない。
パネルの解説文にも問題がある。曰く「バレエの踊り手を撮影した写真は、多くがホッペ(1878–1972)の手になる。ミュンヘンに生まれ、ベルリンとロンドンで活躍した職業写真家で、日本の写真界にも多大な影響を与えた」と、わざわざ衒学的に特記しておきながら、肝心のホッペ撮影の写真は二十点中(私見では)たった三枚しか含まれない。羊頭狗肉ではないのか?
解説子はどうやらバレエに不案内な半可通らしく、《レ・シルフィード》を《森の精》、《謝肉祭(ル・カルナヴァル)》を《カーニヴァル》、《シェエラザード》を《シエラザード》と記して恬として恥じない。作曲者名の「ジコライ・チェレプニン」は誤植だろうが、そもそも標題が「音楽と舞踊」ならぬ「音楽と舞踏」とは今どきおかしくないか?
要するに今回の展示は底の浅いお手軽な代物でしかなく、この国のバレトマニーを舐めきったお粗末な手抜き企画というほかなかろう。