フランス在住のピアニスト銀林成江(Masaé Gimbayashi)さんがこの二月にニュー・アルバムを出されたと風の便りに聞き、一刻も早く耳にしたくて歯噛みしていた。
小生にはディスクをフランスから取り寄せる術がなく(アマゾンと縁切りしたから)、配信音源で聴くのも気が進まない(古い人間なので)。パリではアルバム発売の記念コンサートも催されたという。羨ましい話だが、こういうときフランスはひどく遠く感じられる。
次に彼女が帰国してリサイタルを催すのはいつなのか。そのとき会場のロビーで手に入れるほか方法はなさそうだ。前回のアルバムもそうだった。今しばらく待つほかないだろう。
こんな当方の気持ちをどうやって察したのか、三月の初め銀林さんからじかにメッセージがあり、「まだアルバムを手にしていないなら、住所宛てにお送りしましょう。まだ帰国する時期が決まっていませんので」と懇切なお申し出があった。もちろんお言葉に甘えましたとも。先週末、そのCDが拙宅のポストに届けられた。
ただちに開封し、ターンテーブルに載せた。とてもいい。すぐにでも感想をしたためようと思ったが、こういうアルバムこそ、たっぷり時間をかけて味わおうと考え直し、少し間をおいて二度、三度と聴いた。やっぱりいい。これは素晴らしいアルバムだ。銀林さんとしても会心の出来なのではないか。
"Masaé Gimbayashi -- Sleepless Night"
銀林成江: インプロヴィゼーション 2018 01
サティ: グノシエンヌ 第一番
銀林成江: インプロヴィゼーション 2018 02
サティ: グノシエンヌ 第二番
銀林成江: インプロヴィゼーション 2018 03
サティ: グノシエンヌ 第三番
銀林成江: インプロヴィゼーション 2018 04
サティ: グノシエンヌ 第四番
銀林成江: インプロヴィゼーション 2018 05
サティ: グノシエンヌ 第五番
銀林成江: インプロヴィゼーション 2018 06
サティ: グノシエンヌ 第六番
サティ: 彼の鼻眼鏡 ~《嫌味な気取屋の三つの円舞曲》
サティ: 牧歌 ~《最後から二番目の思想》第一番
サティ: 朝の歌 ~《最後から二番目の思想》第二番
サティ: 瞑想 ~《最後から二番目の思想》第三番
サティ: 夜想曲 第二番
サティ: 夜想曲 第三番
ボルコム: グレイスフル・ゴースト・ラグ
グレインジャー: アイルランド、デリー州の調べ
ガーシュウィン: 四度のノヴェレッテ
ガーシュウィン: 前奏曲《眠れない夜》
ガーシュウィン: 前奏曲(断章)
ガーシュウィン: 前奏曲 第二番
ガーシュウィン: メリー・アンドルー
ガーシュウィン: 四分の三拍子のブルーズ
ドビュッシー: ヒースの野 ~前奏曲集 第二巻
銀林成江: インプロヴィゼーション 2018 07
銀林成江: インプロヴィゼーション 2018 08
ピアノ/銀林成江
2018年8月16日、横浜市保土ヶ谷区、かながわアートホール
Plaza Mayor 5060274801159 (2019) →アルバム・カヴァー
冒頭いきなり銀林さんの即興演奏から始まる。彼女はジャズ・ピアニストとしても活躍しているので、実演でもしばしばジャジーなインプロヴィゼーションを披露する。このアルバムでまず驚くのは、彼女の即興演奏とサティの《グノシエンヌ》とが交互に弾かれるところだ。《グノシエンヌ》は六曲あるので、即興とサティとが律儀に六回交替する。銀林さんのインプロヴィゼーションは自由で不定形な抒情をたたえ、サティの楽曲は静謐でスタティック――両者はまるで対照的な音楽なのに、不思議にも互いに邪魔することなく、むしろ相互に引き立て合う、というか、それぞれの良さを照らし出すかのよう。
サティの《グノシエンヌ》を通して聴くと感じる倦怠や停滞感が全くなく、新鮮さが常に保たれ、サティの音楽の明確なフォルムが際立つのだ。こんな体験は初めてである。この意表を突く曲目配列はいつ発案したのか、さっきメールで銀林さんに訊ねてみたら「録音時ではなく、編集の段階でエンジニア氏がこのアイディアを思いついた」とのこと。その後リサイタルでも試してみたら、弾いていて退屈せず愉しい、とも口にされた。
銀林さんのインプロヴィゼーションは、清冽な響きが時にビル・エヴァンズを思わせるが、不意に《ハッピー・バースデイ・トゥ・ユー》が挿入されたり(2018 04)、坂本龍一の《シェルタリング・スカイ》の主題が姿を覗かせたり(2018 05)と変幻自在。でも音響の基本はあくまでもフランスの流儀。そこにサティとの通い路がある。
そのあとはサティの呟くような小品が六曲、どれも絶妙なタッチで奏されたあと、ウィリアム・ボルコムの《グレイスフル・ゴースト・ラグ》とパーシー・グレインジャーの《アイルランド、デリー州の調べ》が続く。どちらも銀林さんの愛奏曲であるらしく、しみじみとした味わいが心に沁みる。和音の響かせ方に敏感な彼女の演奏で聴くと、国籍は違えどもフランスと地続きの音楽に聴こえるのが面白い。考えてみたらボルコムはミヨーの愛弟子だったし、グレインジャーはドビュッシーとラヴェルのピアノ曲の管弦楽用編曲を手がけているのだ。
アルバム後半の主役はガーシュウィン。六曲(またしても六曲!)が立て続けに弾かれる。いずれも三分に満たないミニアチュールだが、精妙な響きと玄妙な和音は作曲家の天才の紛れもない証だ――そう感じさせてくれるのは、銀林さんの理解ある繊細なピアノの賜物だろう。
そのあとにドビュッシーという展開は、意外なようでいて、その実しっくり腑に落ちる。ガーシュウィンとの類縁性など考えてもみなかったが、こうして続けて聴くと違和感や断絶が全くないことに驚かされる。ピアノの詩的な響きへの嗜好という点で、この二人の作曲家は隣人同士なのかもしれない。
あくまで穏やかで密やかな、それでいながら多くの驚きに満ちたアルバムは、再び銀林さん自身のインプロヴィゼーションに回帰して静かに終わる。
なんという充実した時間だろう。一瞬の響きのなかに永遠を感じ取るような、魅惑のひとときだった。
"Sleepless Night" という表題は、ガーシュウィンの収録曲に因んだものだが、静寂と覚醒の雰囲気に満たされたアルバム全体を指すのにも似つかわしいタイトルだと思う。
文字どおり眠れない深夜に聴くのに相応しかろうが、よく晴れた日の昼下がり、夢見心地で耳を傾けるのもいい。小生はそうやって聴いた。