一、眠れる美姫のパヴアンヌ
二、プテイ・プウセ
三、パゴツトの王妃レエドロネツト
四、美姫と怪獸の對話
五、仙郷
と紹介され、ラヴェルの管弦楽組曲の曲順に沿って全曲が踊られたことがわかる。冒頭の「眠れる森の美女のパヴァーヌ」では女性ふたりが姫と王子に扮し、最後の「妖精の園」では男女あわせて総勢十九名が踊った由。出演者名も記されているが、小生の見知った名前はひとつもない。
パンフレットの口上には誇らしく「吾國では舞踊座に依つて初めて脚光を浴びる」とあるが、「技術的及び經濟的關係から已むを得ず音樂がレコードに依らなければならなくなつた事は吾々の甚だ遺憾とする所である」とのこと。
ここで用いられたレコードとは、1930年録音のセルゲイ・クセヴィーツキー指揮盤(米Victor)、1933年録音のピエロ・コッポラ指揮盤(仏Gramophone/ 米Victor)あたりかと推察される。
そのあと休憩を挟み、ビゼーの「アラゴネーズ」、ブラームスの「ハンガリアン・ダンス」などの小品が踊られたあと、エロールの《ザンパ》序曲に振り付けた「飛行機」なる新演出の舞踊が披露されて幕となった。これらの演目は小編成アンサンブルによる生演奏つきで踊られた。
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このとき第一回公演を催した「舞踊座」について知るところは甚だ尠い。
主宰者の岡崎勝彦は宝塚歌劇団で岩村和雄に師事した振付家というが、ほどなく三木一郎と改名し、よく似た名称の「東京舞踊座」を新たに創設、1939(昭和十四)年6月には築地小劇場で第一回公演を催した。三木は戦時下も宝塚を拠点に活躍、「東京舞踊座」も大政翼賛会の傘下で公演しているが、その後の三木の事績や生歿年については未調査。
そんなわけで、この舞踊座による《マ・メール・ロワ》日本初演についても、いかなる舞台だったのか、反響はどうだったか、などの委細もわからない。
このプログラム冊子は年記を欠いているが、公演日の6月18日が木曜日との記載から、1925、1931、1936、1942年が該当年だとわかる。そのなかで、諸般の状況証拠から1936(昭和十一)年が最有力だと睨んでいる。
ともあれラヴェルの存命中に、極東の島国で《マ・メール・ロワ》が舞台にかかったとは、ちょっとした驚きである。
今から八十数年前、尖端的な日本人の間でラヴェルへの飽くなき関心が共有されていたことを示す、小さいが動かぬ証拠といえるだろう。