3月5日はセルゲイ・プロコフィエフの命日、ということは同年同月同日に歿した髭の独裁者の命日でもある。ソ連を代表する作曲家は「スターリン以後」も「雪解け」も見ることなく亡くなった。享年六十一。
大粛清のただなか祖国に帰還した作曲家は、当初の楽観的な目論見が外れて、この国の抑圧的な政治体制と牢固たる官僚組織に悩まされ続けた。国家の庇護と引き換えに失ったものの大きさに気づいたときはもう遅かった。想像を絶する恐怖と圧迫のなか、それでも交響曲、室内楽、オペラ、バレエ、映画音楽と多方面に、あれだけの傑作群を残したのだから、プロコフィエフこそは真の天才と呼ぶにふさわしかろう。
晩年には深刻な病苦に苛まれ、1948年のジダーノフ批判では矢面に立たされて、同僚たちの裏切りや離反を目の当たりにし、別れた妻の逮捕、エイゼンシュテイン、ミャスコフスキーら親友の相次ぐ死にも見舞われた。
亡くなるまでの数年間の仕事は、さすがに潑溂たる躍動感や機敏な運動性が大いに損なわれ、覇気と活力に乏しい「病者の音楽」となり果てた。悲しい成り行きだが、否定できない事実である。
それでも名人上手の手にかかると、すっかり生気の失せた哀れな作品群にも、ほんのり血が通い、微かな輝きを放つ。
先日のアンドレ・プレヴィンの追悼音楽会ではあえて取り上げなかった最晩年のプロコフィエフ作品を、今日こそ聴いてみよう。
"Prokofiev: Symphony-Concerto - Symphony No.7 / Schiff - Previn"
プロコフィエフ:
交響曲=協奏曲(チェロと管弦楽のための協奏交響曲)作品125*
交響曲 第七番 作品131
チェロ/ハインリヒ・シフ*
アンドレ・プレヴィン指揮
ロサンジェルス・フィルハーモニー管弦楽団
1989年4月、カリフォルニア大学ロサンジェルス校ロイス・ホール音楽堂
Philips 426 306-2 (1990) →アルバム・カヴァー